鶴見俊輔さんと重松清さんの対談本

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 今読んでいる本は、鶴見俊輔さんと重松清さんの対談集である「ぼくはこう生きている 君はどうか」です。

ぼくはこう生きている 君はどうか

ぼくはこう生きている 君はどうか

 このタイトルの言葉は、鶴見俊輔さんにとっての哲学なんだそうです。
 この鶴見さんの言葉に対して、重松さんが「『自分はこう生きている』といえる人は、相手の生き方を認められる人ですよね。(中略)」と受け応えをしている。
 その通りだと思います。
 鶴見俊輔さんの存在を知ったのは、いつからだろうと記憶の糸をたどっているのですが、昨日書いたことと違って、相反して記憶力が老化して、サット出てこない。(泣)
 調べれば判るんだろうけれど、まぁそんなことはたいした問題じゃないので、先に続けます。
 とにかく、鶴見さんという方の考え方、生き方を知れば知るほど、型破りの方で興味が尽きないです。
 鶴見さんの中には、「二つの物差し」があるのだそうです。
 ひとつは、苦学して大学教授になった父親の物差しと、もう一つは、母親方の祖父の後藤新平さんのように学校の成績なんかどうでもいいんだというものさしだそうです。
 鶴見さんの自伝を読んでも、自分はとにかく小さい時から不良少年だったと、それでアメリカに留学させられたんだと、ところが、太平洋戦争が始まったものだから、日米交換船で帰国してきたとのことです。
 そんな鶴見さんの中にある考えで、父親への反発心もあって「一番病」が大嫌いなんだそうです。
 京都大学の田村松平さんの例を持ち出しているんです。
 田村門下からは湯川秀樹さん、朝永振一郎さんというノーベル賞受賞者が出ているのです。
 その田村教授が口にしていたのが、
 「一番はだめだ。二番はおもしろいよ。」
 どういうことかというと、
 「つまり、一番の人は大体世間に適応しちゃうんですよ。湯川、朝永は一番じゃないんです。」
 続けて、
 「二番というのは自分自身で考えるしかないです。」とのことです。
 それから、2人の対談は「老い」の話に移っていきます。
 その中に、アメリカの言語学者チョムスキーさんが鶴見さんと会食した時のチョムスキーさんが話した内容が、「耄碌しても脳の中には言語構造があって、脳は動いている。ただ、のどと舌の筋肉と上手く連絡ができなくいからしゃべれないだけなんだ」とのことです。
 鶴見さんが18歳の時に、ヘレン・ケラーさんと出会って、「あんらーん(unlearn:学び解く)」ということを教わったとのことです。
 とにかく、鶴見さんが言われていることは、自分の実体験に基づいた内容なので、わかりやすく納得できるんです。
 そんな鶴見さんが、加太こうじさんとの出会いったことを「生涯の幸運」だと激賞されます。
 こういう言葉を読むと、私の好奇心が動くのです。
 えっ、加太こうじさんて、紙芝居作家の方、でもあまり詳しくは知らないなぁ、今度図書館に行ったら調べてみようと。
 「無知を装うことで」危機から逃れる知恵は、大学出の知恵からは出てこないものなんだそうです。
 加太さんは、そういう生きる知恵をたくさん持っていらっしゃったようです。
 
 
 
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