卒業アルバムを見る。
実家を9時半に出て、途中1時間の乗り換え調整を行なって、16時半ぐらいには家に着いた。
「のぞみ」って早いなぁとつくづく思います。
行く時は、10時間もかかったのに。
帰宅して早速中学の時の卒業アルバムを見て、昨日出席していた人の確認をする。
うっすらと面影がある人もいれば、全くの別人という人もいる。
という私も、昨日参加していた人から「誰」って言われるのだから、相当変わったんだろうなぁ。
自分では、見慣れているから変わったと思ってないけれど、卒業アルバムの顔と今とは、違うことを認識しました。
そうやってアルバムを見ていると、当時のことが思い出されるけれど、それが正しいのかはわからない。
もしかしたら都合の悪いことは、変えている可能性もある。
ただ、記憶では当時つるんでいた二人(卒業写真にも3人が一緒に写ってるので間違いないだろう)出席していなかったのは、残念です。
卒業して別々の学校に行ったから音信不通です。
今は、ネットで簡単に繋がることができるのに、活用していないなぁ。
物故者名簿を見て。
10年前に中学校時代の同窓会があった。
その時は、仕事の都合と経済的な問題で出席できなかった。
地元及び近辺に居れば、出席できたかもしれないけれど、ちょっと遠すぎる。
今回は、これが最後かもしれないという思いで参加した。
結構、地元に残っている人がいるんだということを知った。
それと、物故者名簿を見て、鳥肌がたった。
それは、知っている名前だということと、自分ももうそういう年齢だということに気付かされたからです。
勤務している利用者さんは、80歳代で、ややお疲れのところはあっても、まだまだ元気って感じなのです。
色々な事情があるとは思うけれど、70歳代前だと、やや早いと思うのは、自分が今70歳だからかな。
帰ろかな、帰るのよそうかな。
おおよそ50年ぶりの同窓会があるので、空き家になった実家に戻ってきた。
家を8時30分に出て、東京駅に着いたら今まで見たことない混雑ぶりでびっくり。
始発駅だから少し待てば自由席で帰るだろうという目論見で、それは良かったのですが、乗車のプラットホームを勘違いして、いつもは「のぞみ」に乗車するのに、「ひかり」に、それも岡山行き、まぁ時間が掛かって、実家に着いたのが、家を出てから10時間後。
最寄駅に着くと、真っ暗で異臭がする。
前回来た時も、同じ異臭がした。
かなりきつい尿臭が、漂っている。
家に着いたら、半年空き家にするとこうなるのかと、びっくりするほどの雑草が生えているのには、驚きました。
妹に電話した時「草ぼうぼうよ。」とは聞いていたけれど、これほどまでになるのか、両親が生きてる時、雑草取りをこまめにやっていたんだということを痛感しました。
この前帰った時にはあった、エアコンのリモコンが見当たらない。
妹のおかげで電気は使えるけれど、リモコンがないとエアコンは利用できない。
うわぁ困った。
まぁ、両親が使っていた布団は処理されずに残っているから、なんとかなるだろうなぁ。
家を離れて50年、両親がいなくなった空き家、千葉の家族から逃げてここに帰ってこようかと、思い始めている。
両親が残した家を、放置するには、忍びないと思い始めています。
知らない作家が、多すぎる。
上野千鶴子氏の「〈おんな〉の思想」を読んでいる途中ですが、著者が取り上げられる作品が、まったくこれまで手にしたことのない本ばかりです。
まぁ、とにかく読んでいない名著と言われる本の多さには、今更ながら驚かされます。
それだけこれまで出会ったことのない作者が、沢山いるということなんだろう。
名前だけは知っているという人、1冊ぐらいは読んだことがあるという人、これまで全く知らなかったという人といろいろです。
並行して読んでいる小川公代氏の著書で取り上げられる人も、名前だけは知っているけれど、内容はまったく知らなかったけれど、今回目にして、上野氏も小川氏も、実に興味が湧くような説明をされるから、つい読んでみたくなる。
そうやってまた読んでみたいという作品が増えていくばかりです。
<a href="https://oyaji.blogmura.com/ranking/in?p_cid=10647309" target="_blank"><img src="https://b.blogmura.com/oyaji/88_31.gif" width="88" height="31" border="0" alt="にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ" /></a><br /><a href="https://oyaji.blogmura.com/ranking/in?p_cid=10647309" target="_blank">にほんブログ村</a>
読書の秋に思うこと。
参考文献を見ると読みたくなる。
しかし、あと残された時間がどれだけあるのかわからないけれど、確実に減っているのは、確かである。
これまでも結構人並みに読んできたつもりだが、読みたい本が、生前からあったというのには、これまで何してきたんだろうという反省しかりである。
まぁ、これまでの自分の世界が、狭かったということなんだろうけれど、それ以上に知らないことが多すぎる。
とは言っても、相当な速読能力でも持ってなければ、読める分量じゃないことは確かだ。
あと残された時間を有意義に使うことかな。
空き家問題。
菩提寺の住職の御計らいで、49日法要と初盆の法要を行なっていただきました。
次回は、一周忌ですが、空き家状態で一年経つとどうなるんだろう。
空き家対策って、あるんだろうか?
高齢化に伴って空き家問題は、深刻だと実感してます。
両親が、その生涯を費やして造った家屋と庭が、空き家状態とは、なんとも悲しいです。
「じゃあお前が住めば」というサジェスチョンは、胸が痛い。
両親が暮らした40年の歳月は、私にとっては、自分の生活でそれどころじゃなかったんだという弁明が、罷り通るものなのかわからない。
ただ、高齢化社会と言われる現代において「空き家問題」って、かなりヘビーな問題だと、思います。
なんとか解決策はないものかと思ってますが、「明日は我が身」。
自分自身、あと何年生きれるのか、わからないけれど、父親と同じ95歳までは、きっと生きられないと思う。
<a href="https://oyaji.blogmura.com/ranking/in?p_cid=10647309" target="_blank"><img src="https://b.blogmura.com/oyaji/88_31.gif" width="88" height="31" border="0" alt="にほんブログ村 オヤジ日記ブログへ" /></a><br /><a href="https://oyaji.blogmura.com/ranking/in?p_cid=10647309" target="_blank">にほんブログ村</a>
父の法要
父の法要で1ヵ月ぶりに帰郷。
すっかり家財道具が、整理された伽藍とした部屋に唯一残った応接間のソファーに腰掛けて、本ブログを書いています。
両親が暮らした家ですが、当人たちが居なくなり、現在は空き家状態です。
この家で過ごした両親のこと、母親が亡くなり、その後10年間独居暮らしだった父のことを想像しながら、ここにいます。
父が亡くなる半年間は、父の入院で、この家は空き家状態でした。
妻と次女は、今年の1月に入院先の病院に行きましたが、私は、生前の父と会うことはできませんでした。
亡くなる数日前に、姪から急変したから、帰って来れませんかという電話をもらっていましたが、公休日に帰ろうと思っていたのですが、それが判断ミスでした。
父の葬儀から1ヶ月が過ぎ、明日は49日の法要です。
亡くなる前に父から従兄弟に、「死後は早急に家を整理してくれ。」と、言われていたようで、葬式後は家の中の片付けで、忌引休暇を費やしてしまいました。
その後、妹が休日のたびに片付けてくれたようで、タンス等片付けられていました。
ここで過ごした両親だけの時間が、どんなだったかは、もう思い出せるものがなくなったこの家の中で、一人ポツンと色褪せた壁を見ながら、なんとも言えない気持ちです。
私にとってのこの家は、かつては年に2回帰ってきていましたが、その後、殆ど帰ることもなくなり、母の葬儀後は、10年ぶりの帰郷です。
父が生きている間は、帰ってこなかったのに、自分ながら呆れてます。
今の年齢を考えると、今後帰ってくることがあるかどうかわからないです。
現住所で家を購入した時に、既にここには帰らないだろうと思っていたのですが、微妙に揺れてます。ただ、帰るにしても、独居老人だな。