水戸街道を歩く 1

いまから150年以上も昔のこと、今私が立っている香取神社流山市)の前には、南北に走る2車線道がある。
今は自動車がひっきりなしに行き交い、その脇の歩道を小学校の通学路になっている。
江戸から水戸を結ぶ往還で水戸街道と呼ばれた。
当時の街道には、一里(現代の約3.927キロ)ごとに土を盛塚となし、また旅人たちの目印に榎が植えられていたとのことである。
そして、その榎は、夏の暑いときには陽射しを遮る憩の木陰となり、俄雨の時は雨宿りとなって、自然と人間は共存していたようだ。
この場所にも「一里塚があって、長い歳月を朝に夕に行き来の人を送り迎えた榎」が植えられていたようだ。
というのは、現在は既にその盛塚は壊され平地となり、榎も枯れ朽ちたので、榎は植え継がれたものがあるが、当時を偲ぶものは、香取神社の境内だ。
それを憂えた氏子総代の方々が、「過ぎ行く忽忘(こつぼう:なおざりにし、わすれること)の歴史の彼方にそこはかとなく忘れ去ることの忘却を想い」を込めて建てられた碑が社頭に建っている。
碑の文筆に、この地に縁のある小林一茶の和歌が書かれている。
「下陰をさがしてよぶや 親の馬 一茶」

水戸街道伝いに松戸方面に歩いて行くと段々大きく曲った坂道を下りきった所に富士川があり、その川をを渡った所に「根木内城址公園駐車場」がある。
いまから500年以上も昔の山城あとを公園としたものである。
市内には、2つあり、もう一方の城址公園は既に訪問済み。
まず、公園入口の立て札に、驚愕させられる。
書かれている内容は、「ここにはスズメバチがいるので、出てきたらすぐに逃げて下さい。」というものだ。
確かに、その城跡の一角は周囲の住宅街とは、不釣合いで、炎天下の昼時だというのに、太陽の陽は樹陰に遮られて入ってこないから、涼しくて薄暗い。
森林浴には最適だとは思う。
しかし、私は「陽が落ちてから1人でこの公園に入って行け」と言われれば、近在の方には、本当に申し訳ないが、辞退するだろう。
かつてここにあったお城は、戦国時代の山城。
周囲は敵が攻め込まないように空堀で囲まれていて、現在もその痕跡は残っている。
古木に囲まれた道を上りきったところは、平地の草原である。
その公園に建ててある城跡の古地図を見て、これまたびっくり。
この公園のすぐ隣に走っている国道6号線は、かつてのこの山城の分断して走っているのだ。
この公園から東方向には、江戸時代には徳川幕府の小牧原台地がひろがり、馬が放牧されていた。
現在は、団地等が立ち並び人間が生活している。
かつての先人たちは、この移り変わりを見たらさぞや驚愕することだろうなぁと思いながら、山城址を下りて来た。
スズメバチに会わぬことを念じながら。

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