全ては心の中で起こっている

 自宅から最寄のJRの駅までの間にある国道6号線を越えた先の道路を挟んだ右側になかなか風情のあるお寺がある。
 そのお寺の周りには、2本の大きな黒松が少し離れて立っている。
 周辺には、高い建物がないため、遠くからでも見ることができる松の木である。

 逆に松の木のてっぺんからは、この一帯が見渡せるんではないかという妄想が沸いてくる。
 松の木たちは、その場所に立ってから、どのくらい経つのかはわからないが、きっとこの地域の変遷を見てきたことだろうという推測は立つ。
 では、どのくらいの年代だろうか?
 「更級日記」の作者が、京都に帰る際に、この町に立ち寄り、E川を渡った時代には、きっと立っていなかっただろうとは思う。

 以前書いた吉田松蔭さんが、この町中を通り抜けた姿は見ていたかもしれない。
 その後、徳川昭武さんが、当町内の風景を自慢のカメラで納めていた姿も見ていたかもしれない。
 我孫子に向かう志賀直哉さん、武者小路実篤さんたちの仲間が、乗った汽車を見ていたかもしれない。
 最近では、宇宙飛行士の山崎さんが、小学校・中学校に通っている姿を見ていたかもしれない。

 そして、今は遅刻しそうなサラリーマン・学生が、坂道を駆け下りる姿を。
 消防自動車・救急車が、サイレンを鳴らしながら走り去る姿を。

 動くことの出来ない樹木たちではあるが、「私たちを愛すべき可愛いものたちよ。」という、懐の深い想いでいつまでも見ていてもらいたい。
 そんな妄想を抱いてしまう。
 樹木の生命力に比べれば、人間の人生なんて大した長さじゃないんだと思う。
 だけれども、一人一人にとっては、自分の人生が一番大事なんだと思う。

 つい昨日読み終えた名越康文さんの著書の中に書かれていた。
 「すべては、実は心の中で起こっているのだということに、どこで気づけるか」
 という言葉に考えさせられました。