幼児体験。

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島田荘司さんの新刊かと思って地元の図書館に予約した。

屋上 (講談社ノベルス)

屋上 (講談社ノベルス)

昨日、午後から図書館に行って早速借りて、図書館に備え付けられた椅子に座って読み始めた。
十ページ程読んでいる間、「あれっ、前に読んだことがあるような、まさかデジャブ」なんて思いながらも、読み進んで、いやぁやっぱりこれ、読んでると、最終ページを見ると、本書は
屋上の道化たち

屋上の道化たち

の書き直したものでした。

すっかり、ノベルブックのことを失念してました。
3・40代の頃は、推理小説ばかり読んでいたけれど、この頃はさっぱり読まなくなってしまった。
推理小説に時間をかけるより、もっと時間かけて読む本があるんじゃないの」っていう、自分の中の強迫観念みたいなものが、「残り時間だんだんと少なくなってきているのだから、もっと有意義に時間を使わない」
という声が聞こえてきそうな気になる。
だけど、いざ図書館の本棚の前に立つと、いったい今の自分に必要な本ってなんだろうと考え込んでしまう。

史書の背表紙を見ながら、「過去の出来事を知って、どう活用するの」とか、経済書の前に立って、「今までも色々と手を出してきたけれど、結局書かれている内容も理解できず、ただ字面を眺めただけで、知識になってないよ」とか、心理学・哲学・政治等々の本の前に立って、自分の非力感を再認識するだけ。

自分のことなのに、自分が読みたい本が選べなくなっている。
いや、相手がでかすぎて、手が出せなくなっているっていうのが、実態だろうなぁ。

もっと、選択する範囲を狭めないといけないんだろうけれど、それだとモッタイナイと思ってしまう。
結局、貧乏性で、捨てきれないってことか。
貧しかった頃の幼児体験の意識が、私の体から出ないってことですか。