[随感日記]ルーツ探検。

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自分の先祖が、どういう人で、どういう生活をして、どう生きたんだろうということを、何故だか最近頭にちらつく。
ある年齢を過ぎると、自分のルーツを知りたくなるものなのかもしれないかな。

私の場合は、父方は祖母は一緒に暮らしていたので知っていますが、祖父は父が子供の頃に、既に亡くなっていたから、仏壇に飾ってある写真の姿でしか知らない。
母方の祖父と祖母には、小学校2・3年の頃に、母の里帰りの時にあった記憶がある。
その前にも、母が里帰りした時に、連れて行ったとのことだが、そちらの記憶は全くない。
小学校の時は、なぜかマンガ雑誌を買ってもらい、それを列車の中で読んだ記憶がある。
後は、祖父が藁を編んでいる時、一緒に藁を編んだこと。
乳牛を飼っていたので、搾りたての牛乳を飲んだこと。
祖父の実家の家に行ったこと。
母が自転車で出かけるというので、自転車に乗り始めた私は、一緒について行くと言って、出かけた
まだ、サドルには座れないけれど、ペダルを漕ぐことが嬉しくて、自転車に乗って出掛けたと記憶している。
でも、帰路の時、母がドンドン先に行くのに、なかなか追いつけなくて、置いてけぼりにされるんじゃないかという恐怖心を抱いた記憶がある。
結構思い出してきたけれど、私の妄想が混じっているかもしれない。

わが先祖は、鹿児島の米ノ津藩の下級武士だったそうだ。
父方の祖父は、土方の親分だったようで、飯場から飯場へと転々としていたとのことだ。
父方の祖母は、明治の終わり頃に、静岡の御殿場で生まれ育ち、祖父の飯場の飯炊き女中だったとのことだ。
祖父には、先妻がいたそうだが、経緯はわからないけれど、後妻に収まったそうだ。
この祖母は、読み書きがほとんどできなかったが、世知には長けていたそうで、先妻の子供と自分と繋がりのある女性とを一緒にさせたり、祖父の実家と関わりのある家の娘を、自分のお腹を痛めた子供とを一緒にさせた。

昭和20年代の終わりのことだから、今のように交通の便も、情報のやりとりもすんなりいく時代ではなかったと思うが、鹿児島生まれの女子高を卒業した女と広島生まれの男が、結婚した。
当時の話として、よく聞く話だが、婚礼の後で初めて二人が顔を合わせたのとのことだ。
それが、私の父と母だ。
両親が喧嘩した後、母が愚痴っていたことは、「騙されて結婚させられた。」と。

しかし、あれから60年が過ぎて、久しぶりに見た両親には、お互いを必要とする仲の良い夫婦に見えた。
あの亭主関白だった父が、母に対する態度は、まるで今までの贖罪のようにも見えた。
母が、関節リュウマチで寝込むようになって、父が食事を作っている。
最初の1年くらいは、父の作るものが口に合わないと、母はあまり口をつけなかったようで、結構口論が絶えなかったと、珍しく父が愚痴っていた 。
父が、ムキになったように母を介護しているのは、実は父のすぐ上の姉から(一人娘は居宅介護センターを経営しているとのことだった)
「男の介護は、もって半年だから、専門に任せた方がいい。」と、言われたことが原因のようだ。
そういえば、父とその上の姉とは、昔から何かあると、よく対立していた記憶がある。