[随感日記]帰郷。

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実家で迎える朝は、今回で何度目だろう。
この家が建つまでは、父の会社の社宅住まいだった。
浪人の時には、母の姉の家に居候して、予備校に通った。
母の姉は八王子に住んでいたので、どうせ予備校に通うならば、広島市内よりも東京の方がいいだろうし、どうせ独り住いするならば、お金のかからない母の姉の家という、安易な気持ちだった。
今思えば、当時から、金を使うことが嫌いなケチな性格で、まわりに迷惑をかけることを厭わないというか、配慮のない性格だったようだ。
結構人見知りで内向的な性格な筈なのに、一人で他人の家に住むことには全く抵抗が無かったようだ。
学生時代は、父の会社の学生寮住まいで、社会人になってからは社宅住まいで、自宅住まいの経験がほとんどない。
父が、この家が立てた時には、私は社会人になって関東で暮らしていた。
26歳の11月ごろに結納を交わし、婚約者の相方と二人で正月を実家で迎え、結婚式は実家の結婚式場で挙げるから、3月の結婚式までの間、相方は実家に過ごしていたと記憶している。
結婚式の段取り等は、全て親まかせだった。
どうしてそういう経過になったのか、今ははっきりと思い出せない。
が、父と相談して、そういう経過をたどったのだろう。
だから、この家には、相方の方が長く住んでいる。
その後、長女が生まれる時に、相方の母親が居ないという理由で、一旦夏休みを利用して実家に帰り、そのまま相方は長女を産むまで実家で過ごしていた。
昨日が、その長女の誕生日だった。
長女誕生の連絡を受け、すぐに有給休暇を取って、実家に帰って戻り、産院に行ったことは記憶しているが、その後、直ぐに関東に戻ったか、時間をおいて再度迎えに行ったのか、すっかり忘れてしまって、思い出せない。
結婚当初は、マメに実家に帰ってきていたが、いつ頃からは忘れたが、実家に帰るということはなくなっていた。

昨日は、私以外の家族と父は、広島市内観光に出かけ、私は母の見守りをすることにした。
と言うのは、父が通院に行こうとした寸前で、突然母が急変。
近所の方のアドバイスを受け、救急車を呼んだ。救急車で運ばれ、即手術をして、九死に一生を得たのですが、それ以来父は、自分が留守の間に先立たれることが不安で、安心して外出が出来無かったとのことだったから、介護から離れての小休憩が取れたのではないかと思います。
そして、本日は父と一緒に、親戚の家に母の病院の件で相談に行ってきました。
病気の症状によって担当する病院が違うので、病院の掛け持ち状態で、処方される薬の副作用等の問題があるようなので、どこか一つの病院に決めたいということで、相談に行きました。
20年ぶりぐらいに訪れた町は、駅前のロータリーは、変わっていなかったけれど、町は、すっかりと変わってました。
高いビルが出来たり、荒地だったところに建物が建ったりして、記憶していた風景と現状の違いに、まるで浦島太郎現象です。
電車で帰る予定でしたが、親戚の叔父が車で送ってくれることになり、市内を通り抜けましたが、「道の駅」が出来た辺りの変わりように、以前何があったのかも思い出せません。
変わらないだろうと思っていたのに、すっかり変わってしまった。