股座膏薬。

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至極当たり前のことなんですが、
知っている人は知っていて、知らない人は知らない。
何のことかと言うと、実は私は愛想が良くないんです。
いつ頃からだろうとかと思い出して見ると、
もともと私は、家族からは「内弁慶」って言われるほどの引っ込み思案でした。
そのくせ、近所の同年輩の子供と喧嘩した時は、
石を投げるほどの無鉄砲さも持ち合わせていたとのことなのですが、
全く覚えがないんです。
祖母という人は、父親が言うのには「股座膏薬」って言うほどの、
とにかく周りの人に気を使って、敵を作らない人だったようなんです。
ですから、祖母の葬式の時には、かなりの人が来てくれたようなのですが、
喪主である父が知らない人が多くいたとのことでした。

私は、その孫なんですが…。


話が逸れました。
思い当たるのは、小学校の時の卒業記念にと同級生が書く「寄せ書き色紙」だと思うんです。

その「寄せ書き色紙」にクラスで割と美人というか、整った顔の女の子が書いた言葉が、多感な少年の胸をグサリと抉ったのではないかと思います。

それから、中学生になってから、意識的に女の子を避けてました。
と言うか、女の子にバカにされたくないっていう変な敵対心のようなものを持ってました。
それは、高校2年まで続くのでした。

実体は知りませんが、
吉田拓郎=愛想の悪い男」っていうイメージに憧れた?
偽悪家?

浪人の時は、八王子のおじさんの家に下宿していたから、日中は予備校に通う。
田舎から花の東京に出て来て、まして予備校ですから、殆ど人と話をしない。
唯一、仕事から帰って来たおじさんが犬の散歩に連れて行く時に、一緒について行く時と、TVを見ながら食事をしている時ぐらいでしょうか。
後は、借りていた部屋に閉じこもって、今から思えば、勉強しているふりをしていました。
「覚えて詰め込むことを」勉強とするならば、あの時が一番勉強したのかな。

見知らぬ人とは、あまり話をしたがらないっていうのは、
その後もずっと続き、
また必要以上に説明をしないっていうのも、誤解を招くこともありました。

と書き連ねて来たのは、当所の利用者さんがドンドン抜けて、ガラガラ状態になった要因は、
「私の愛想のなさ」にあるとの指摘を受けたから、何が原因だろうと振り返ってみたところです。
と考えると、全く成長していないというか、無愛想のどこが悪いんだと開き直っていて、悪いと思って来ていなかったということが、わかりました。
それって、「愛想のいい奴ほど、いい人間はいない」っていう私の経験則から来ているのかも。
それって、祖母の影響なんだろうか?