[随感日記] 行過ぎた適応とは、
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先週、定期検査に行かれたご利用者さんが、定期検査をした結果、緊急入院となってしまい、その後の連絡では、1・2週間で退院できるだろうとのことでしたが、本日家族が来所されて、入院が長引きそうだからとの報告と急遽退所のための荷物をお持ち帰りになった。
また、「退院となったら、ケアマネさんを通じて、利用させていただきます。」と言われて、非常にありがたいと思いました。
元気になって、一日も早く戻ってこられ日を待ちたいと思います。
先日借りてきた山本太郎著「感染症と文明」を読んで、「行き過ぎた適応」という言葉が頭にこびりついて離れません。
- 作者: 山本太郎
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2011/06/22
- メディア: 新書
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歴史家ウィリアム・マクニールが指摘した「大惨事の保全」として、ミシシッピ川は春に氾濫し、洪水を起すため、アメリカ陸軍工兵団は堤防を築き、ミシシッピ川の封じ込みを始めて、洪水は止んだけれど、川底には年々沈泥が蓄積し、堤防もそれにつれて高くなって、嵩上げ続いているが、いずれ破綻をきたすことになる。そのとき、堤防建設以前に襲っていた例年の洪水とはレベルの違う、途方もない被害が起きる可能性があるということだ。
同様に、感染症のない社会を作ろうと努力すればするほど、破滅的な悲劇の幕開けを準備することになるかも、そうかもしれないなと。
そうすると、病原体との「共生」を考えなければならない。
「心地よい適応は、次の悲劇の始まりに過ぎない。」
たしかに、人類は、長く生きたいと適応しやすいように周りを変えてきた。
そのことによって、いろいろな歪が生じてきているのが「今」なんだろう。
それから、前回読み終えた本の中で紹介されていた瀬尾健さんの下記の書物を読む。
- 作者: 瀬尾健
- 出版社/メーカー: 風媒社
- 発売日: 1995/06
- メディア: 単行本
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もっと、謙虚に著者の指摘した内容を原発推進してきた人たちが、真剣に前向きに取り組んでいれば、今回の福島第一原発事故を今とは違う展開ができたのではないかと思うと本当に怒りを感じます。
というか、この17年間一体国を筆頭に原発推進者たちは、自分たちの保身のみで、国民の安全を守ると言うことにまったく考えてこなかったということです。
だから、著者が指摘するように、「この国は原発事故に対する防災対策は講じられていない、国民一人ひとりが自分のみを守るしかない」と。
その通りになってしまいました。