必要悪?
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原発事故のため福島から千葉に避難してきた子供たちが、千葉の子供たちから風評被害による虐めにあっていているとのこと、また、タクシーの乗車拒否にあったりとか、病院での受付をしてもらえないとかの事件が起きているとのことである。
じゃあ一体、千葉の子供たちがどうして、そういう対応をするんだろう。
きっと、その背後には、子供たちをそのように仕向けているものがいるんだと思う。
それは、子どもたちを取り囲む情報環境だろう。
その情報環境を構成しているものは。
情報の発信源であるマスコミにも一因があるんだろう。
そして、その情報を正しく受け止めることができない人たちにも問題があるんだろう。
正しく、情報を受け止めるようにすることが情報発信源の責任だと思う。
ただ、垂れ流しをすればいいというものではないと思う。
だから、ニュースの解説番組が、人気番組になってしまっている。
本来であれば、ニュースの時間で、懇切丁寧に判りやすい説明をしていれば、風評被害なんて発生しないと思う。
いや、それは受け取るほうの問題であって、発信元は責任がないとは言えないだろう。
風評被害で野菜が売れないとか魚が売れないとかのニュースにしても、問題の発信源は、きっとマスコミの説明不足というか、紋切り型のぶつ切り放送のやり方に問題があるんだと思う。
コンパクトにまとめて伝えようとするから、誤解を招くような伝わり方になり、それが風評の大本になるのではないかと思う。
そんなことをしておいて、風評被害を批判する。
だから、いつまでたっても風評被害はなくならない。
一時期風評被害で企業が倒産するのも、風評被害で加害者家族及び被害者家族が出てくるのは、大本は現在のマスコミの報道方法に問題の根っこがあるように思えて仕方がない。
「必要悪」って言葉で、本当は社会にとって必要ではないものの存在をいやいやながらというか渋々認めることがある。
社会にとって害悪になるものであれば、二度と作らなければいいのに、その味を覚えてしまったものは、もうそれなしでは生きていけない、そうそれが必要なんです。
きっと、煙草もそうですよね。
嫌煙者にとっては、あんな煙のどこがおいしいの、絶対身体にはいいことはないとは思っている煙草、喫煙者にとっては、身体にいいことないということはわかってはいるけれど止めることができなくなったものです。
最初から煙草なんてものがなければ、きっと喫煙って習慣は発生しなかっただろうけれど、一旦喫煙という習慣を覚えてしまうと、なかなか止めることができない。
いや、逆に依怙地になってしまうこともある。
ということは、一旦作ってしまったから、もうそのものがなかった時代には戻せないってことか。
必要悪からの喜びを知ってしまったから、今更断ち切ることができないって事なのかな。
悪の裏側にある禁断の蜜の味を覚えてしまったから。
煙草は、あくまでもたとえ話です。