邂逅

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 昨日の雨も上がり、薄日が差してきた。
 昼過ぎには、今まで空を覆っていた雲も薄くなり、青空が顔を出し始めた。
 市内の図書館へ予約しておいた本が用意できたとのメールが届いたので、愛用の自転車に乗って出かけた。


 今回予約した本は、先日借りた「森岡孝二著『強欲資本主義の時代とその終焉』(桜井書店、2010年4月)の冒頭に紹介されていた「ジョエル・ベイカン著『ザ・コーポレーション』 ーわたしたちの社会は「企業」に支配されている」と、はてなブログで紹介していた「山森亮著『ベーシック・インカム入門』(光文社新書、2009年2月)の2冊だ。

 そして、折角来たのだからと図書館の中をブラッと散策する。
 そうすると目に入ってきたのが、「近藤裕、太田塁著『何のために生き、死ぬの? − 意味を探る旅』(地湧社、2007年)である。 同書を手に取り、パラパラとめくると、「プロローグ  出会い縁(えにし)― 近藤裕 「『人間は、一生のうちに逢うべき人には必ず逢える。しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に・・・』と、教育哲学者 森信三は綴っている。」と書かれている。
 まず、教育哲学者 森信三さんの情報を全く持ち合わせていない、だからここに記載されている言葉にも出会っていない。
 また、この言葉に疑問を持つ。筆者も同じ疑問を持ったのだろう。だから、下記の言葉に続く。「そんな『逢うべき人』との出会いは、「いつ、どこで、どんな状況において生ずるというのだろうか?」と懐疑心や、逆に期待を抱く人も少なくないだろう。・・・」

 そして、著者は自分の人生を振り返って、「そういう『逢うべき人』との出会いともいうべきいくつかの巡り会わせがあったと思う。『思う』という確信のない表現を用いたが、それを『今にして思えば』あの人、この人と出会いが、『逢うべき人』との出会いであったにちがいないと、気づくに到ったということなのだ。
 その人と私の関係が「会うべき出会い」にふさわしい心の交流とか、魂のふれあいが生じなかったと思える人物が、私のこれまでの人生に何人もいることを、後悔の念と共に認めざるを得ない。」と続く、そう言われれば、私を含めて多くの人が「ある。ある。」という思いを抱かれると思います。
 そして、また森信三さんの言葉を引用されるのです。
 「縁は求めざるには生ぜず、内に求める心なくば、たとえその人の面前にあるとも、ついに縁を生ずるに到らずと知るべし」と。
 そして、著者は「偶然な出会いと「サムシング・グレート」(神・仏)な存在の力(働きかけ、摂理)に導かれた双方の交流の積み重ね。邂逅は、その結晶として生ずるものかもししれない。」と続き、本書の著者たちの出会いから対話が本書の本論へと続くのである。
 長い引用になってしまったが、こういうプロローグを読むと、本論も読みたいと食指が動くのである。
 それで、予定外であったが、この本も借りることにした。


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