E川に想う
いまからざっと150年前には、この川には堤防はなく、整理された河川敷もなかった。
江戸から逃げるようにして、この川までやってきた武士は、この川からの景色をどういう想いでみたのだろうか。
当時とは違う現代の景色を見ながら、ふと私は妄想に耽ってしまった。
そして、江戸から逃げてきたその武士は、この川を渡り、川向の宿場町を遠ざけ、その当時は山林に囲まれた高台にある寺で一夜を過ごし、翌日には水戸へと旅立ったとのことである。
その寺を宿にしたのは、江戸からの追っ手を避けるためであったとのことである。
しかし、今その寺の周りは、開発され当時をしのぶ林はない。
ただ、その寺の前に備え付けられた伝言版に、今書いた要旨と司馬遼太郎の作品の一節が掲載されている。
その武士とは、吉田松蔭である。
それから、何年後だろう、上流を新撰組の近藤勇が、この川を渡っている。
有名、無名の人々が、この川を渡ったり、この川を上り下りしたりしている。
歴史とは、身近な所にあることを痛感する。
歴史ではないが、伊藤左千夫の「野菊の墓」の舞台でもある。
知らないで体験することと、知って体験することでは、相当の違いがあると思う。
それが、私の随感である。