おじさんありがとう
いまから10年前のことだと記憶している。
単身赴任で関西地方から関東に戻ってきた年だから、きっと10年前だ。
関東に戻ってきて赴任先に着任した1ヵ月後に歓迎会を催してもらったから、7月だったと思う。
その日は、したたかに酔ってしまい、飛び乗った電車は最終電車、ところが行き先を確認せずに
乗ったものだから、まさか自宅駅までたどり着けないなんて。
酔いは一編に醒めてしまった。
すぐに、その電車を飛び降り、連絡電車はないかと駅の構内をうろつくも、ない。
仕方なく、改札を出るも、いつもの事ながら所持金はない。
歩いて帰るかと腹を決め歩き出す。
まぁ、この線路を辿っていけば、たどり着くだろう。
いままでもそうだったんだからと、歩き始める。
駅前は、飲み屋の明かりがあるが、駅から10分も歩くと段々と暗くなる。
ふと前を見ると、若い女性が歩いている。
携帯電話を掛けながら、
「最終電車だから、迎えに来てよ。」
「ええっ、車がないの。
じゃざあ、私どうすればいいのよ。」とかなり大きな声で携帯電話の向こう側と揉めている。
まぁ、何れどこか近場で離れて行くんだろうなぁと、煙草に火をつけながら、私は彼女を追い越す。
駅から遠ざかる程、あたりは人家の明かりがなくなり、等間隔に続く街灯の明かりだけである。
だんだん暗くなり、まわりは田圃とか畑である。
交通量の多い所に出れば、そんなに淋しくはないだろうと思いながら、自動車のエンジン音とヘッドライトの明かりを目指す。
どうにか、幹線道路に出た。
道路上の表示板を見て、自宅方面を目指して歩く。
夜間とはいえ、やはり夏が近づいているので、汗が滴り落ちてくる。
そうやって、どのくらい歩いていただろうか。
突然、後から声を掛けられた。
振り向くと、さっき駅前で追い抜いた彼女だった。
「おじさんありがとう。
暗くて心細かったんだけれど、おじさんが前を歩いてくれていたんで、なんとかここまでたどり着けた。
やっと、お父さんが帰ってきたので、車で迎えに来てくれることになったの。
本当に、おじさんありがとう。」
突然の謝礼に、私は何が一瞬何が起きたんだという戸惑いを覚えながら、でも何か胸の奧から湧き出てくる暖かいものを感じた。
そして、彼女は、
「おじさん、どこまで行くの。」と聞いた。
「もっと、ずっと先だよ。」
「そう、がんばってね。」って言って、彼女は別の道を歩き始めた。