遅すぎたか。

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夜の公園のベンチに座っている。
さすがにこの時間だと、寒さを感じる。
家に帰ればいいとは、思うのですが、後ろめたい気持ちがあるから、帰りにくいのです。
で、周りを見渡すと同じようにベンチに荷物を置いている人が居る。
若い人のようですが、携帯をいじってます。

昨日は、ハローワークの紹介で面接に行ってきた。
しかし、副理事長の名刺を忘れてきたことに、今朝気付いた。
これは、縁がないってことだろうなぁと、一人悔いている。
午後から新規のデータを見にハローワークに行ってみたけれど、ないですね。
ほとんどが、定年が60歳って、結構厳しいもんです。
月曜日にネットから紹介のあった企業の面接がある。
当初は、今日だったのだけれど、昨日急遽担当者が会議が入ったということで、期日の変更があり、その時「今日はどうですか」と聞かれたけれど、他の面接の時間と近かったので、月曜日に変更した。
その他に知人に頼んでいるのだが、一向に回答がない。
その知人から、ゆくゆくはNPOを立ち上げようと誘われていて、その間の繋ぎの仕事を見つけるからと言われて、待っていたけれど、回答がないので、遅まきながら自分で動き出した。
遅すぎたか。

生きがいってなんだろう?

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高齢者の心性は、「孤独」だとのことです。
それは、身近な人たちが徐々に旅立ち、家族と居ても、話が噛み合わないから、話に加われない。
そういう「孤独」な世界が、待っているとのことです。
死期も近づいてきているが、死ぬことは怖くなくなるようですが、死ぬまでの時間が生活できるのだろうかという不安があるとのことです。
確かに、死んでしまえば、もうそこで終わりだから、そこから先のことを考える必要はない。
しかし、それまでの間は、生きていかなければならない。

認知症になれば、徐々にだけれど、認知機能が衰えていき、最終的には、人格が内部崩壊していく。
その間に、肺炎等で死亡する可能性があるのだろうけれど、本人としては、認知機能が低下したという自覚がなくなるから、端で見るより、本人にとっては、不幸感を認識することはないのかなと思ったりする。
今まで、そういう質問を利用者さんに、投げ掛けたことがないから、わからいけれど、どうなんだろう。
と、考えてしまったのは、竹中星郎氏の著書を読んだ影響だ。
高齢者にとっての「生きがい」って、なんだろう。
自分の生きがいって一体、なんだろうと、自問してみたけれど、答えがわからない。

津田沼から歩いて6時間弱。

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朝9時頃家を出て、最寄り駅まで歩き、電車に乗って、途中津田沼で乗り換えて、千葉に着いたのが11時頃。
とにかく、風が凄かった。
昼前に用事を終えて、津田沼に戻り、そこで軽く昼食を取り、津田沼から家まで歩いて帰ってきました。
iPadを片手に。
津田沼は、わりと街中の道です。
東船橋駅を越えて、船橋に入ってからは、かつて二和向台で働いていた頃に、営業車で回っていた風景に再会。
あの時は、そんなに時間が掛かったと思わなかったけれど、徒歩だと、当たり前だけど、時間が掛かる。
頭の中では、この道を真直ぐ行って、あの信号を回ればと、当時の記憶が鮮やかに思い出されるのに、なかなか場所が変わらない。
歩いているのだから、当たり前なんだけれど、それが歯がゆいです。
それとは別に、車で回っていた時には、気づかなかったけれど、結構林とか荒地が残っているもんです。
大きな道から、脇道に入って、坂を登り、坂を下る。
その途中で道路の舗装工事で、片道通行です。
私と同じか、やや年配の交通整理員で立ちっぱなしの仕事です。

住宅街を抜けると、小高い丘沿いの道に出る。
お寺の横の道を登って行く、両端は、木々があるだけ。
突風が吹くと、ガサガサと葉音がたち、周りに人家がないので、淋しくなってきます。
かなり、風も冷たくなって来ました。

徒歩を選択している関係か、大きな道よりも、車が一台通るのがやっとという道を選んでくれるので、やや不安です。
なんと、iPadの電源が切れそうです。
市川に入ってからは、殆ど車が通らない道を選んでくれる。
途中で散歩いている人に出会ったので、その人に声をかけて、道を聞いたら、
「この道の先は、大きな道に当たるから、左に曲がると市川大野駅に行く。
松戸は、反対方向だ。」と、教えて頂き、大きな道に出ると、そこからは知っている道だ。
東松戸駅の手前から、ポタポタと雨が降り出してきた。
あと、1時間ぐらいで家に着くと言うのに、雨が降り出すとは…。

移動していく利用者さんへ。

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お泊りデイサービスが今月末で終了する。
今お泊りデイサービスを利用している利用者さんも、次の施設に移動しなければならない。
皆さん、次の施設が決まり、月末に向けて移動が始まる。
今朝は、私が施設長時代から利用していた利用者さんと最後の軽い挨拶をして、職場を出たところ、同僚の職員から呼び止められた。
「利用さんがしっかりと挨拶したい。」と、門まで出てきていた。
「今まで本当にありがとう」と、手を差し出され、目が悪いのでサングラスを着用されているのだが、声が涙声なので、きっと泣かれているのだろう。
「こうなるんじゃないかと思ったから、さっき軽く挨拶したのに。」と、握手をして別れたけれど、その利用者さんとの思い出はいっぱいありすぎるのです。
きっと、冷たいやつだと利用者さんには思われただろうけれど、仕方ないです。

利用者さんは、できればこのまま利用し続けたかったと、お泊りデイサービスの終了が決まった時から、言い続けておられました。
当施設の意向でお泊りデイサービスを取りやめることにしたことに、利用者さんは、怒っておられましたが、それも仕方ないです。
昨晩も、遅くまで一緒にテレビを見ながら、「次の仕事先は決まった?
今までの経験があれば、すぐ見つかるよ。」と、私のことを心配してくれていました。

利用者さんへの色紙には「今までありがとうございました。これからもいつまでもお元気で」と書きました。
本日の夜勤が、この施設最後の仕事になります。
再就職して、長く働けると思っていたのに…。
さぁ次の仕事を探さないと!

あと、3日か。

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今日を含めて3日間で、今の職場を退職する。
現デイサービスが、宿泊を止めるから、夜勤は必要ないとのこと。
都内の夜勤を勧められたが、この年齢で都内まで通勤、それも夜勤ということは、連勤なんてできないです。
となると、大幅な収入減。
であれば、この地域内での再就職ということになるわけですが、そう簡単に次の仕事があるわけではないと思うのです。
それで、知人を頼って紹介を待っているのですが、未だに連絡がない。
自分でも動こうとしているのですが、どうしたものか。

そのために4年ぐらい伸びるに任せていた髪を切った。
それから、今まで収まっていた花粉症が再発したようで、鼻水が止まらない。
鼻炎薬をもらって服薬して、一旦は鼻水が止まったけれど、薬効が切れるとまた鼻水が…。
どうしたものか。

昨日は、夜勤を終えて帰宅後、佐川元長官の国会中継を見ていたけれど、真相には突き当たりませんでしたね。
真相を語れない理由があるんだと思いながら、そもそもの原因は、前任者がやったことなのに、その責任をかぶり、また部下に押し付けようとする。
本来の当事者は、何処かでほくそ笑んでいるのでしょう。

[随感日記]生命より大事なものって?

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3月5日の国会中継の中で、山本太郎議員の質問の時、「生命を落とさないようにして下さい。」との発言があった。
彼が危惧したことが起きてしまった。
生命を落とさなければならないほど、何かに追い詰められていたということに、悲しみと怒りを覚えます。
いったい何から追い詰められていたのか、その正体はわかりませんが、出来ることならば、その正体を明らかにしてもらいたいものです。

私は、生命が何よりも一番大事だと思うのですが、人によっては、生命より大事なものがあるという考え方もいるようです。
私としては、それに与することはできませんが、確かにいる。
でも、それがその人の本音なのか、疑問ですけれど。

[随感日記]もう居ないのか。

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夜勤を終え、途中駅前のスーパーで消費期限が本日のため、値下げされた菓子パン類を購入する。
最近売れ残りが少ないようで、以前のように種類が多くない。

このコーナーに訪れるのは、私のような高齢者がほとんどで、たまに中年の主婦がいる。
かなり前にお会いしたご婦人は、「中村屋の肉マンがあればすぐに買うのだけれど、今日はないわねぇ。定価で買うと500円近いのに、200円で買えて、それに何と言っても美味しいのよ。」と、教えてくれたことがあった。
その後、中村屋の肉マンが出ているときに、買ってみた。
確かに、山崎の肉まんに比べて高いだけの美味しさはあるあると納得した。

家に着き、玄関の戸を開け、リビングングの戸を開ける。
以前だと、チーズが尻尾を降りながら出迎えてくれたものだが、今はその姿を見ることができない。
これが、ペットロスというものだろう。
家の中にいると、ふと思い出してしまう。
家の周りも毎日のように散歩していたから、「もう居ないのか。 」と、溜息が出ることがある。

こうやって卓上テーブルの前に座っていると、私の膝の上で横になろうという意図がありありと窺える態度を示す。
で、「分かったよ、膝の上で寝なよ」と、胡座を組むと、その中にすっぽりと入り込んで、気持ちよさそうに昼寝を楽しんでいた。
チーズとの会話は、もちろんなかったけれど、チーズが言いたそうなことは、何となくわかった。
チーズの中に体内時計があるのか、3時過ぎる頃から、散歩に連れて行って欲しいというように、前足を伸ばして軽く準備運動を始めるのだ。

だけど、「もう居ないのか。」