死を意識したのは、いつ。

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死を意識し始めたのはいつ頃だろう。
と考え始めたのは、最近アルフォンス・デーケン博士の下記著書を読んだ影響です。

よく生き よく笑い よき死と出会う

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ユーモアは老いと死の妙薬

ユーモアは老いと死の妙薬

博士は、ドイツに生まれて日本に憧れて来日されて、死をタブー視しているわが国に「死生学」を普及させようとしている方です。
で、先程の話に戻りますが。
自分の記憶を辿ってみる。
小学校に入る前まで住んでいたのは、父親の勤務する会社の社宅だった。
その社宅の前には小さな山があり、その山の中腹には、火葬場があり、その火葬場近く一帯は墓場だった。
その墓場の一角にわが家の先祖の墓があった。
お盆と彼岸の墓参りに行く時には、その火葬場の脇を通るので、死ぬと火葬に付されて墓に埋葬されるんだということを知り、「火葬される」ということが非常に怖いという記憶が残っている。
また、夏場には怪談話がテレビや近所のおじさんたちの話に出てくるので、やっぱり「死は怖いものだ」だという記憶がある。
それが、私にとっての死に対する原点なんだろう。

その後、小学校一年の時に、弟が死産だった。
わが家で葬式を行ったのだろうが、全くその記憶はない。
小学校の高学年の時には、自転車でそろばん塾に通う途中で、たまたま目の前で真っ青な顔をして行き倒れの場面に遭遇した記憶がある。
一番身近な死は、中学一年の時の祖母の死だ。
ただ、その時は、祖母は叔母(父の姉)の家に遊びに出かけ、日中叔母達が仕事や学校に行っている留守の間に、突然亡くなったとのことだった。
死に顔には苦しんだ形跡はなかったとのことだったが、父は自分の家以外の場所で祖母が死んだことを悔やんでいたのを覚えている。
と記憶を辿ってみると、身近に死はあったが、他の人が言うように、胸が張り裂けそうなほどの悲しみに打ちひしがれたという記憶がない。

その後、高校時代の同級生の死、妹の連れ添いの死、叔父の死、勤務先の同僚の死、義父の死、つい昨年の義兄の死と、遭遇している。