【随感日記】 抑留時代。

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利用者のWさんは、大正生まれ。
そのWさんと、当施設のママさん職員との会話を傍で聞いていました。

Wさんは、終戦の時は、北朝鮮にいたんだそうです。
南朝鮮に居たら、抑留されずに帰国できたのに、北朝鮮だったから抑留されたんだ。」
すると、ママさん職員さんは、「抑留ってなんですか?」って質問。
「抑留っていうのは、捕虜になったんだよ。」
「で、ウズベキスタンに連れていかれたんだ。」
ウズベキスタンって、どこらへんですか?」って質問。
私のiiPadを使って、世界地図を表示。
「すごく遠いんですね。
飛行機で行ったんですか?」との質問に、Wさんは、
「捕虜に飛行機は、使わないよ。」
「えっ、まさか歩いて行ったんですか?」
「いやあ、汽車だよ。」
「そこで、何をさせられたんですか?」
パミール高原で、運河を作るために、土堀ばかりやらされたよ。
夏は、ものすごく暑くて、冬はものすごく寒いんだ。
食料は、一日250gのパンだけだった。
だけど、働きのいい人間は、それ以上もらえたけどね。」
「えっ、川は、自然にできるもんだとばかり思ってました。
運河ってなんですか?」
と、Wさんが、話すたびに質問が繰り出されてくるんです。
で、その質問のたびに、iPadを使って関連画像を検索。

満州で捕虜になった方は、皆シベリア抑留だとばかり思っていたけれど、ウズベキスタンで運河作りをされていたことを知った。
検索で表示される画像は、観光的な映像が大半でしたが、中にはWさんが、語られた過酷な歴史の断片を見ることができる画像もありました。
Wさんは、5年間抑留されて、「岸壁の母」で有名になった舞鶴港で本土上陸されたとのことです。