[随感日記] 放射能汚染の現実を超えて
にほんブログ村
本日図書館から借りてきた本は、小出裕章さんが1994年に書かれた本ですが、今回の東日本大震災および福島第一原発事故の発生により復刊された本です。
- 作者: 小出裕章
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2011/05/19
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- 購入: 6人 クリック: 165回
- この商品を含むブログ (95件) を見る
今も福島第一原発で起きている内容を知る上でかなり参考になります。
著者は、20年前から今福島第一原発で起きている事故について警告を発し、その生き方について尊敬します。
同書は、これから読み始めていきますが、序章の「生命の尊厳と反原発運動」に著者が原子力に反対している理由が書かれています。
それを読み、確かにそうだと納得しました。
他の御用学者と違い、ぶれることなく一貫性のある生き方、この世から差別をなくしていくと言う思想の深さに感銘しています。
「私が原子力に反対しているのは、事故で自分が被害を受けることが恐いからではない。
(中略)
原子力とは徹底的に他者の搾取と抑圧の上になりたつものである。
その姿に私は反対している。
もちろん私も放射能など決して食べたくない。しかし、私たちは自ら選択したか否かにかかわらず、すくなくとも現在日本というこの国に住み、原子力の電気をも利用している人間である。現に原子力の恩恵を受けている私たちが、結果としてであれ、汚染だけを第三世界の人々に押しつけることになる選択をすることは、原子力を廃絶する道とは相容れない。
(中略)
私は日本の子供も含め世界中の子供たちに汚染食料を食べさせたくない。しかし、私自身はこの日本という国に生きる大人として、それなりの汚染を受ける責任があると思っている。チェルノブイリ事故後、私は敢えて汚染食料を避けない生活を続けてきた。今後もそのつもりである。そうすることで、現実の汚染が消えるわけではないし、世界の差別全体が解消されるわけでもない。当然、私の苦悩が消えるわけでもない。世界に苦悩があるかぎり、個人の苦悩が消えることなどありえない。世界が抱える問題に向き合って、いわれのない犠牲を他者に押しつけずにすむような社会を作り出すためにこそ、私の生命を使いたい。そして、そのような社会が作りさせたその時に、原子力は必然的に廃絶されるのである。」