「原爆による残存放射能による被害なし」との虚偽報告

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 昨日に続いて、本日も朝から丸一日休みです。
 午前中は、我が家の猫庭でぱっと目に付く限り範囲内の草取りを実施。
 それから、図書館から借りてきて目を通していない本を、パラパラと拾い読みをする。
 
 一昨日、図書館から予約本が用意できたとの連絡が入っていたのですが、昨日は図書館の休館日だったので、本日借り出しに出かける。
 今回予約した本は、原子力に関する本を2冊。

まるで原発などないかのように―地震列島、原発の真実

まるで原発などないかのように―地震列島、原発の真実

 「ヒロシマナガサキを世界へ」の著者肥田舜太郎さんは、戦時中は広島第一陸軍病院の軍医さんでした。
 原爆が投下された時は、その前日に農家で急患が出たとのことで往診に出かけ、仮眠後目覚めたのが、8時過ぎで、開け放しの座敷から雲一つない広島の空が見えて、そのはるか高い彼方にB29が一機、銀色の光を放ちながら、広島の上空にゆっくり動いているのが見えたとのこと。
 著者は、いつもの偵察飛行だと、気にもとめず、注射器の中の空気を押し出して、よく寝入っている子供の腕をまさに取ろうとした瞬間、原爆が落とされたとのことです。
 それから1975年「核兵器全面禁止を国連に要請する第1回国民代表団」となり、米国を訪問後被爆の実相と核戦争阻止、核兵器廃絶の運動をされたとのことです。
 米国から国連に出された「原爆白書」には、「残留放射能による被害なし。生存被爆者はすべて健康」と報告されていたようで、1975年になって初めて国連に「残留放射能による被害および生存被爆者の問題」を報告して、実態がわかったようです。
 「原爆白書」を提出するに際して、当時の日本政府も承認したと考えられる訳です。
 ということは、戦後30年間もの長い間、世界中の人は、広島・長崎にずっと続いている原爆後遺症について、世界は知らなかったということなんです。
 
 


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