[随感日記] 女性達は恒例の春の旅行です。
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昨晩は、一人暮らしをしている長女が久しぶりに帰ってきた。
今日から、相方と2人の娘達は、毎年恒例の春の旅行に出かけた。
そして、私とチーズは留守番である。
あと一人長男もだ。
まぁ長男は、仕事の関係でなかなか休みが取れないからな。
恒例の春の旅行は、いつから始まったんだろうと思い返しているが、自分が参加していないのでさっぱりわからない。
自分が初めて参加したのは、10年以上前に、前職の会社から勤続20周年の記念に会社から旅行費用が出るというので、それを元手に伊豆旅行をしたのが、初めてだったと記憶する。
そうそう、あの時は、会社の景気がよくないと言うことで、私達が最後で次年度からは廃止になったと記憶している。
とかく、私達の年代は、いろいろと待遇的には、あまりいい面を見ることがないのだが、あれくらいだろう。
勤続30周年の記念と言う時は、副賞が一旦復活したのだが、私達の番に成った時には、表彰状1枚になってしまった。
つい愚痴をこぼしていまいました。
あの時は、ちょうど単身赴任で大阪に居たときで、ちょっと長めの休暇を取って当地に帰ってきて、伊豆までの1泊2日の自動車旅行を決行したのだ。
段取りは、すべて相方が行った。
相方は、高校を卒業と同時に旅行会社に就職したほどの旅行好きだ。
そのおかげで新婚旅行の時は、相方の人脈でかなりデラックスな旅行がリーズナブルな金額でできたと相方が言っていた。
今思い出してみると、あの当時から、旅行プランはすべて相方任せにして、私はそれに随伴していただけだと言うことに恥ずかしながら、今書いていて気づいた。
振り返ってみると、本当にいろいろと相方には世話になっていると痛感。
そして、こんなにも性格が違う2人であることも改めて実感した。
それと同時に、なんて自分はわがままで厭な奴なんだろうと自己嫌悪に陥ってしまう。
しかし、それを素直に口に出して、相方に感謝の言葉が出せない、それは勇気がないってことなんだとこれまた反省。
まぁそれは置いといて、あの時は夜中か朝早く当地を出発して、天城越えして下館まで行き、それから引き返して河津の宿で一泊した。
1泊2日の強行スケジュールだった覚えがある。
その次に参加したのは、長男が付き合っていた女性(今も交際中みたい)が春休みで帰郷している実家の新潟旅行である。
こちらは当時長女が付き合っていた男性(現在はもう交際は無い模様)に運転とドライバーを頼んで、やはり一泊2日の強行スケジュールだった。
天気のいい朝早く当地を出発して、休憩場で喫煙休憩を取りながら、(わが家の女性は相方を筆頭に嫌煙家なものだから、車内では喫煙できない)新潟を目指した。
昼食は、白鳥が訪れることで有名な「瓢湖」が眺望できる「湖四季」さんで摂った。
(はてなさんの「たべぞう」で検索してみたけれど、検索できませんでした。)
http://www.kosiki.jp/
夕方近くに、目的地のホテルに到着。
晴れていれば、日本海の夕日が眺められ、向かいの佐渡も見ることができると言うことなのですが、生憎の曇天模様。
しかし、折角来たのだからと日本海の海岸を散歩。
それから、夕食までの時間を温泉に浸かりに行く。
ガラス扉の外側に屋外の温泉があり、十分体を温めて冷気のある外に出て、屋外の温泉に浸かる。
なんという運の悪さだろう、少しばかり激しい雨が降り出してきた。
しかたなく、ガラス扉の内側の温泉に再度浸かる。
値段がリーズナブルにしては、ちょっと豪華な夕食だった。
後で聞いてみると、長男の彼女の家族の人脈で、かなり大盤振る舞いしていただいたとのことであった。
翌日は、村上市内をざっと観光して、昼食は長男の彼女の家族が経営している食堂を摂る。
事前にわかっていれば、一番高い食事を頼んだのだけれど、家計のことを考えて、ごく普通の定食を注文する。
他の家族は、折角来たのだからとかなり値段の張る定食を頼んでいた。
これも後で聞くと、折角来てくれたのだからと、昼食のプレゼントだったとのこと。
ここで長男を降ろして、私たちは一路帰ることにした。
ここでまた運悪く、近年珍しい大雪に出会い、新潟県の県境を越えるのに、吹雪との戦いであった。
とはいっても、戦っているのはドライバーの彼だけで、私たちは心の中で安全を祈るだけでした。
やっと、県境の長いトンネルを抜けると、本当に日本って多様な国だと実感します。
一山越えれば、さきほどまで窓ガラスの向こう側に吹雪いていた雪は、見えなくなりました。
誰もいないサービスエリアに車を停めて、トイレ休憩を兼ねた喫煙休憩。
暖かい缶コーヒーを片手に煙草を一服。
ふと空を見上げると澄んだ夜空にこんなに星があったのかというくらいの星が光ってます。
これから交通渋滞が控えています。
どこかで夕食を摂って、帰るとします。
本当にドライバーの君、強行スケジュールを安全運転してくれてありがとうと声をかけたくなりました。
そして、我が家に着いて、その言葉を彼にかけました。
最後が、前回エントリーした関西旅行である。
あれから、もう4年以上が経過するのか。
あのドライバーの彼は、どうして娘と別れたんだろう、その後どうしているのだろう、と久々に感慨に浸っています。