妄想の散歩道
にほんブログ村
またまた、相方の愚痴話になりそうになりましたが、ぐっと我慢して・・・。
(フーッと大きく息を吸い込む。)
気を取り直して、今日は、少し長めのチーズとの午後の散歩に出かけてきました。
いつもの散歩コースとはかなり違うので、チーズは少しばかり戸惑ってはいました。
でも、チーズの意向をまったく考慮せずに町中を歩き回ってみました。
住宅街の庭には、金柑の実ではないかと思うのですが、小さな橙色の果実が枝を飾ってます。
それも1軒ではなく、何件かの庭で見つけました。
あれは、何か意味があるのでしょうか。
まったく、そういうことに疎いものですから、よくわかりません。
歩きながら、目に付くもの、耳に入ってくるもののことから、次々と色々なことが連想されてきます。
これが、散歩する時の楽しみでもあります。
が、同行のチーズは、私の意思に反して引き返したり、立ち止まったり。
そのたびに、私の思索は邪魔されます。
それが、すこしばかりいらつかせます。
しかし、考えてみれば、この散歩の本来の目的は、チーズを外に連れ出すことですから、私の方がチーズの散歩を邪魔しているということになるのでしょうか。
そんな思索の中の一つは、今住んでいるこの町は、生まれた町ではありませんが、今までそしてこれからもきっとお世話になる、この町のことについてです。
「思えば遠く来たもんだ」とは、海援隊の歌のタイトルだったでしょうか、自分の半生を振り返ってみると、瀬戸内海の小さな町から大都会の東京に出てきて、それから関東圏に住み着いて、田舎の歴史よりも関東圏の歴史のほうが長くなってしまいました。
「思えば遠くに来たもんだ」です。
ところが、もっと凄い人が居て、某ブロガーさんですが、同じ瀬戸内海沿岸の町に生まれ育ち、東へ東へと進んで、日本から飛び出して、アメリカへそれから欧州へと、今年は日本に帰ってこられるそうですが、この方なんか「思えば遠くへ来たもんだ」です。
それはおいといて、同じ所に長く住んでいるとその町に愛着が沸いてきます。
というよりも、長く住んでいるのにもかかわらず、この町のことについて、まったく知らないということにある日気づいたんです。
会社と自宅を行き来するだけで、休みの日は家の中でゴロゴロして、家族からは粗大ゴミ扱いを受けてました。
これではいけないと、「ある日突然」気づいたんです。
いや、あれはきっと司馬遼太郎さんの「街道をゆく」を読んだ影響かな。
それからです、この町の中を歩き始めたのは、歩いてみて初めて知ることって沢山あります。
今まで移動は、殆どが自動車ですから、点と点の移動なんです。
途中の景色を見ているようで見ていない。
歩いてみて、こんなに坂道が一杯あるのかとか、こんな山道があったんだとか、こんなところにこんな遺跡があるのかとか、今まで見過ごしてきたことがたくさんあることがわかりました。
それから、立て看板に書かれている内容を読むと、今度はそこにその地域の歴史が書かれています。
で、図書館に行くと郷土史について本を、市で作ってるんですね。
これは、各自治体の教育委員会が主催して、作っていると思います。
遺跡が発掘されると、詳細な資料もあります。
貴重なコンテンツが埋もれた状態になっているじゃないかと思います。
もっと溶け込みやすいように加工すれば、面白くなるんじゃないのかなと、それに今生きている人達の歴史を何らかの形で残していけばいいのにと・・・そんなことを考えながら散歩してます。
そうそう、先日の縄文時代の遺跡発掘から連想したのが、結構この町からその手の遺跡って出てるんですよね、それをもっとアピールしてもいいんじゃないかって、これが何らかの形でビジネスに繋がれば、仕事ができるんだけどなぁと妄想しながら歩いていると、1時間半の散歩も終わりに近づいてきて、我が家が見えます。
さすがに、今日のチーズは歩き疲れたみたいで、いつもなら家に入るのを渋るのですが、すんなりと家の中に入っていきました。