伝えていくこと
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今日の朝刊で、1980年代から日本が変わってきたという。
そして、他の情報媒体からも、1980年代から日本が変わり始めたという情報に接する。
1980年といえば、私は社会人2年生である。
前年に学校を卒業して、新社会人としての自覚が芽生え、徐々に変革し始めたころである。
その頃から、日本社会が変わったとのことである。
だが、私に関していえば、自分の身の回りのことで精一杯で社会全体を観察する力も余裕なんてものをほとんど持っていなかった。
では、「今はあるのか」と問われると、あの時より少しばかり社会のしくみが判ったいうぐらいで、今もはっきりいって自信はない。
ただ、当時に比べて色々と調べる手段は格段に便利になった。
じゃあ、どういう風に変わったのかというと、今日の新聞の説明だと、「以前はなんらかの社会的な信頼関係があったが、その信頼関係が薄れてきた」とのことである。
しかし、本当にその当時そのような信頼関係があったのかというと、違うような気がする。
そういうものがあると教え信じ込まされていて、それを疑ってはいけないといわれていただけではないかと、そして、本当にそういう信頼関係があるのと、疑い始めた人たちが声を上げた時に、その疑いの声に前向きに対応せずに、一部の人間のいうことだから、とりあえず通り過ぎるのをじっと我慢して待ちましょうとした態度を取ったことが前例になって、その後もずるずると今も引きずっているのではないのかな。
その当時に仮に新聞が書くような信頼関係があったと仮定家庭すると、じゃあ一体何が原因でなくなったんだろうと考えてしまう。
昭和時代のノスタルジーを描いた映画等が人気を博しているが、その当時本当にそんなものがあったかというと、そのようなものは、実はなかった、だけど時間のマジックが作用して、そのようなものがあったような錯覚に陥っているのではないのかなぁ。
たしかに、時代を経ることによって、かつてあったものがなくなるというケースはある、それは次につなげていく人間が、そんなものあることがあたりまえで、あえて次の世代につなげていく必要がないと努力を惜しんだことが原因になっていることが沢山ある。
かつて、日本の活力源であったもろもろの技術も、いまや中国に渡っていき、そこで引き継がれて花咲いていて、原産国の日本からは消え去ろうとしてるとのことである。
そう考えると、実になさけないことではあるが、この国は伝統というものをまったく大切にせずに、ないがしろにしてしまう民族だということかな。
それは、自分たちの伝統芸が世界でどのような立場にあるのかが、客観的に判断できないということであり、自信を持ちすぎるのはまたそれなりの弊害が出るので慎まないといけないが、それは自分たちの伝統芸・技術に自信がないということなんだろう。
今読んでいるこの本からも、インスピレーションを与えられて。
- 作者: 島田荘司
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2010/06
- メディア: 単行本
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