人生の断片

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潜水服は蝶の夢を見る

潜水服は蝶の夢を見る

 今回読了した本は、本ブログで既に紹介された本です。
 1995年12月8日(故ジョン・レノンさんが暗殺された日)に突然脳出血で倒れ、その後「閉じ込め症候群(ロックトイン・シンドローム)」(意識は、はっきりしてしているのだが、体の自由が利かない、唯一外部と交信を取る方法は左目の瞬きだけとういう状態)に陥った42歳の男性の亡くなるまでの手記です。
 まず、この本を読むに際して、本の帯の著者紹介欄を先に読んでしまったから、本文の内容と違和感を感じました。
 本の帯では、「1996年12月8日、突然脳出血で倒れ」「1997年3月9日、突然死去。」と書かれているものですから、4ヶ月間しか生きることが出来なかったのかと思ったのです。
 ところが、本文には生存していない月のことが書かれているのです。
 これは、どういうことなんだろうと頭の中に?マークを抱きつつ読み進んでいく内に疑問が氷解、突然倒れられたのは、本の帯の1年前だったんです。
 ということは、1年3ヶ月の間、「ロックトイン・シンドローム」の状態で生き続けたということです。
 自分の身体でありながら、自分の意思では、自由に出来ない状態、他人の援助がなければ、絶対に一人では生きていけない状態、そういう状態の中で、人間は何を考えるのだろうかということに、すごく関心がありました。
 著者と同様の状態に陥った場合、「自分の人生は自分のものだから自分のために生きる」ということは、もしかしたらすごく傲慢なことじゃないかと、もっと生きるということに謙虚にならなければいけないんじゃないかと思いました。
 著者の言葉で、頭の中に残った言葉は、
 彼の元に手紙が届くのですが、その手紙の主のことについて書かれた部分「奇妙なのは、こうした本質的な問題に最も深く触れてくるのは、僕が最も表面的にしか知らなかった人たちだということだ。何気ない外面が、その内の深さを隠していたのだろうか。僕に人を見る目がなかったということだろうか。それとも、その人の本当の姿を照らし出すには、不幸という名の光がなくてはならないのだろうか?」という文です。
 そして、その後に続く文章にも考えさせられました。
 「その一方で、過ぎ去った時をいろどった小さなできごとを、そのまま素朴に語っている手紙もある。たとえば、夕暮れ時に摘んだバラの花の香り、雨の日曜日の物憂さ、寝る前に泣く子供のこと。新鮮なまま差し出される、こうした人生の一断片、こうした幸福の息吹にこそ、何より僕は心を動かされる。」
 何気ない日々のなかの何気ない一瞬が、生きていることを実感させてくれるということがあることを気づかせていただきました。
 生きていることに感謝です。

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