久しぶりの都内

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 今日は、珍しく朝早く起きて、自転車に乗って最寄の駅近くにあるIY堂の駐輪場に自転車を停め、開店前の館内を通り抜けて、4階分の階段を駆け下り、常磐線で北千住まで行き、そこから都内に入る地下鉄に乗る予定です。
 ところが、地元の駅までの道は、地元の中学校に通う中学生たちが、歩道一杯に広がって歩くものですから、なかなか前には進めないから、歩道から車道に乗り換えです。
 そして、久しぶりに乗車する午前8時台の通勤電車は、後からの圧力で車内の中ほどに押し込まれるほどの満員状態です。
 とにかく、容赦会釈も無しに、後ろから圧力を掛けてくるものですから、私の前に立っている女性は、身長が低いこともあり、その前の男性の背中に顔が埋まってしまい、呼吸が出来ないのじゃないかという感じです。
 ところが、私の隣に立っている男性は、こんなに混んだ中でも、携帯電話を広げて画面を見ています。
 が、ここで注意をするほどの度胸がない私は、見て見ぬふりをするのが精一杯です。
 「ちょっと後ろの人、そんなに押さないでくれ。
 久しぶりに乗る電車なんだから。」と、声を上げたくなりそうになりましたが、そこもグッと抑えました。
 北千住駅に到着、出口は乗車口の反対側ですが、後ろからの圧力で車外に押し出されました。
 まぁ、この駅で千代田線に乗り換えなので、押し出されても別に問題はないんですけどね。
 都内に近づくにつれて、人が乗り込んできますが、西日暮里駅で一旦乗客は大幅に減少する筈なのですが、今日は余り減少しないです。
 退職前に、乗車していた乗車口とすこし違ったみたいです。
 大手町駅で一旦電車を降りて、地下鉄東西線に乗り換えですが、流石にターミナル駅なものですから、プラットホームの上は人の移動が入り組んでいます、それに歩くスピードが遅いのです。
 「そんなに、会社に行くのが厭なのか」というくらい、ゆっくりゆっくりと歩いてます。
 追い越して行きたいのですが、狭いプラットホームは、追い越し歩線がまったくないのです。
 何で、急いでいるかというと、目的地までに9時には着かないといけないのです。
 初めて行くところだから、もっと余裕を持って家を出ればよかったのですが、久しぶりの早朝外出、家を出るまでに時間が掛かってしまったのです。
 なんとか、東西線までたどり着き、到着した電車に飛び乗り、日本橋駅に到着。
 一応、事前にネットで地下鉄の出口は調べていたのですが、いざ現場に到着してみると、とっさの判断ができないもので、ついウロウロ・きょろきょろしてしまいます。
 何とか、出口を発見、今度は目的地をと思ったら、運良くちょうど目的地の真下に到着してました。
 それから、目的地の受付けに行き、来社した目的を告げたところ、
 「さっき、担当の方が見えてましたよ、あと一人が来ないって。
 この上ですから。」と案内を受け、息を切らせながら、2階へ。
 既に、本日の参加者は皆集合されていて、私が一番遅かったようです。
 昼過ぎにそのビルでの用事は終わり、折角都内に出てきたのだからと、ブラット散歩することにしました。
 日本橋から東京駅まで、このあたりはスーツを着たサラリーマンとOLらしき人で一杯です。
 ちょうど、時間も12時過ぎですから、近くのビルから昼食に出てきた人たちだと思います。
 こんなに、働き口のあるサラリーマンがいるのかと、うらやましい気持ちがムクムクと沸いてきますが、第三者から見れば、私も一応スーツ姿だから、働くサラリーマンに見えなくはないと思います。
 ついでに、足を伸ばせと、神田駅を横目に見て、神田川沿いに「柳森神社」を発見しました。
 神社の由来は、室町時代太田道灌公が江戸城の鬼門除けとして、この辺りに柳の木をたくさん植えたことからこの名がついて、長禄2年(1458)に江戸の鎮守として祀られたそうです。
 当時は対岸の外神田の方にあったようです。
 柳の木は、幽霊がつき物ですが、じつは悪鬼払いの木でもあるのですね。
 また、境内社の福寿社は、5代将軍綱吉の母・桂昌院が信仰していた福寿神(狸)の像を祀る。
 狸に「他抜き=他に抜きんでる」という意味をかけ、立身出世や勝負事・金運向上の利益があるとして信仰を集める。そして、境内には狸の置物?が沢山ありました。
 かつては八百屋の娘から将軍の生母になった桂昌院にあやかりたいという女性たちに崇められた。当初は江戸城内に祀られていたが、後に旗本の瓦林邸内に移され、明治維新に際して柳森神社で祀られるようになったとのことで、私もあやかりたいとお参りして来ました。 
 それから、富士講にも関係があるとのことです。
 効験がありますように・・・。
 天気もいいことだから、上野まで足を伸ばすことに、不忍池にたどり着いた時、どこからか津軽三味線の音が流れてきました。その音色に誘われて、音源のあるところを求めていきました。
 音源発見、それは下町風俗資料館の前の不忍池の辺の石に腰掛けて、中年の男性でした。
 その男性の前には、全国行脚・津軽三味線とかかれています。
 YAHOOで調べると、その男性の記事が出てました。
  http://takungpao.jp/blog/2010/11/post-170.html
 
 それから、寛永寺につづく階段を登り、寛永寺の回りをぐるりと回り、次に見つけたのが「秋色桜(しゅんしきざくら)」です。立看板によると
「上野は、江戸のはじめから桜の名所として知られていた。数多くの桜樹の中には、固有の名を付せられた樹も何本かあり、その代表的なものが、この「秋色桜」である。

 井戸ばたの 桜あぶなし 酒の酔

 この句は元禄の頃、日本橋小網町の菓子屋の娘お秋が、花見客で賑わう井戸端の様子を詠んだものである。
 桜の枝に結ばれたこの句は、輪王寺宮に賞せられ、一躍江戸中の大評判となった。
 お秋は当時 13歳だったと伝えられている。
 俳号を菊后秋色と号した。以来この桜は「秋色桜」と呼ばれている。
 ただし、当時の井戸は擂鉢山の所ともいい正確な位置については定かではない。
 お秋は、9歳で宝井其角の門に入り、其角没後はその点印を預かる程の才媛であった。
 享保 10年(1725)没と伝えられる。
 碑は昭和 15年(1940)10月、聴鴬荘主人により建てられた。現在の桜は、昭和 53年(1978)に植え接いだもので、およそ 9代目にあたると想像される。」
 ドンドン上野公園の中に突き進んで行って、次に見つけたものは、「親子像 忘れじの時計の塔」です。
 昭和時代の服装をした親子像、ふくよかな感じのなんとなく心温まる像なのです。
 これは、何だろうと、像の裏側を見て、納得。
 故林家三平師匠の奥さんである海老名香葉子さんが、東京大空襲に会われたときの悲惨さを忘れないようにするために立てられたものでした。
 また、この像には、関東大震災で被害に会われた方の思いも込めて、今平和の中に生きている人に、その悲惨さを忘れないようにするためにとの思いも込められているとのことです。
 公園の空き地には、佐賀県の物産会と全国の大陶磁器の販売展示場がありました。
 公園の外れには、大勢の人が座って、宣教師の話を聞いています。
 その風景の異様さにちょっと戸惑いました。
 いったい、これは何の集会なんだと、宣教師の方の話を聞いてました。
 「神を信じなさい。神を信じれば天国に行けるのです。神を罵倒・信じないものは地獄に行くのです。」
 要約すると、こういう内容でした。
 道路を挟んで向い側は、東京国立博物館が現れました。
 そして、博物館前入口の空き地には、沢山の若い男女が集まっています。
 何かの集会でもあるのかと思うような人なんです。
 今展示されているものは、入口前の案内板には「光明皇后1250年御遠忌記念 特別展「東大寺大仏―天平の至宝―」 と書かれています。
 この特別展が、こんなにも沢山の若い男女を集める魅力があるのかと、関心をしながら、通り過ぎました。
 さあ、近くのJRの駅から帰宅することにしようと、この周辺の地図を見ると、近くに鶯谷駅があることがわかったので、鶯谷駅を目指して、歩き始めました。
 
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