哀蚊

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ネコの額ほどの小さな小さな我が家の裏庭の雑草取りをしていると、薮蚊にさされてしまった。
昔、読んだ太宰治さんの小説(老化のためか、タイトルは忘れてしまった)の中に「夏をすぎた蚊を『哀蚊(あわれが)』という」という文書を読んだ記憶がある。
既に、9月に入り11日が経つ、もう夏は去ったと考えていいのだろう。
そうすると、今私を刺したこの蚊たちは、『哀蚊』なんだろう。


秋ですぐに連想されるのは、古今和歌集
「秋来ぬと 目にはさやかに見えども 風のおとにぞ おどろかれぬる」である。
高校もしくは中学校時代の古典の教科書で、初めてお目にかかって以来、大ファンになってしまったのである。
それが嵩じて、晩秋に生まれた長女(我が家の子どもたちは9月10月生まれ)の名前にしてしまったというほどなのだ。
「どうして気に入ったのか」と問われても、その方を納得させられる理由もまして納得させられる説得力も持ち合わせていない。


理屈だけでは、物事を説明できない事があると思う。
いや、理屈だけでは説明できない事があるからこそ、この世の中はおもしろいのではないかとも思う。
ゲゲゲの鬼太郎のごとく「妖怪」がいてもいいじゃないかと、その方がおもしろい。
経済学にしても、従来の経済学では、説明できない事象が発生するから『行動経済学』なる学問が出来つつある。
「なぜ人を殺してはいけないかという事にたいして、納得できる説明がされないから、だったら、人を殺してもいいじゃない。」という理屈になる。
こちらから見ると、その理屈が納得できない。
そういう人たちが増殖しているとのこと。
また、ひとつわからないことがふえてきた。
それが、またおもしろいのだ。





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