打破したい。

私が、「貧困問題」に関心を持ち始めたのは、98年に大阪へ単身赴任した時からである。
折角の単身赴任だから、この地域を見て回ろうという観光気分で、まず近くの図書館に行き関係書籍を探し、それから「道路地図」を片手に近場から歩き始めた。
最初のターゲットは、「淀川踏破」だった。
これは、東秀三著「淀川」(編集公房ノア)を読み、著者の追体験をしてみようと始めた。
ところが、実際歩き始めてみると、既に書いたことだが、河川敷に立つ犬小屋つきの家屋、ブルーシートを利用した家屋等、橋の下を寝床にする人たちの生活を垣間見て吃驚したことだ。
そして、市内を歩き始めると、水道トイレ付の公園には、必ずブルーシートの小屋がある。
特に、大坂城近くの公園には、ブルーシートの家屋の一群に圧倒され、そこに居住している人に対しては申し訳ないのですが、そこを通り過ぎて行く一種の恐怖感を抱いた。
どうして、こんな状況になっているのかという疑問がわき、図書館に関係書籍を探したけれど当時は「貧困問題」に関する書物はほとんどなかった。
そこで見つけたのが、平井正次著「無縁声々」(藤原書店)だった。
その後、センさんの論文を読んだが、素人にはわかりづらい内容だった。
それから、「格差社会」「ワーキングプア」「反貧困」とマスコミに取り上げられるようになってきた。
どうして、この問題にこだわるのかというと、一部の人を除いて、「明日はわが身」という状態になる可能性がある。
その不安感だ。
その不安感を払拭するためになんらかの手助けができないか、だけど私も家族を養っていかなければならないので、ボランティア活動はできない。
その間で、今住んでいるところのNPOに相談を行ったが、
「希望する団体はない。」との回答だった。
「企業に勤務しながら、ボランティアをやられた方がいいですよ。
なぜ、NPOにこだわるんです。」と逆にサジェスチョンと質問を受けた。
高齢者の再就職が狭いもんだと言うこととNPOと私企業の違いをわかっているのかと言いたかったが、やめた。
その後、事業型NPOの説明会があるということで、参加した。
一つの団体は、海外の環境改善と地域経済の発展ということで、日本の役割は消費することだった。
もう一つの団体は、趣旨は賛成なのだが、ほとんどボランティアで最低賃金を大きくした下回る金額だった。
退職したのは、まちがいだったのかと自問する日々である。
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