ちょっと自転車で。

 いい天気に誘われて、ちょっとE川堤防を自転車でブラット回ってきました。
 葛飾区の川岸を下流目指して、サイクリングロードをちゃりんこで。
 途中、「寅さん会館」用の駐車場には、観光バスが向かい合って整列して、止まってました。
 かなりの人が訪れるみたいですねぇ。
 川面では、水上スキーヤーが1人悠々と楽しんでました。
 河川敷では野球の練習試合、サッカーの練習試合・・・。
 てっきり、サッカーだとばかり思ってたら、違うんですね。
 サッカーボールじゃなくて、フリスビーをパスし合っているんです。
 じっくり見ていると、バスケットボールのような動きみたいだし、「一体このゲームは、何?」
 疑問符を持ちながら、見てました。
 早速帰ってネットで調べたら、「アルティメイト」らしいんですが、それがあっているかどうかわかりません。
 江戸川橋を渡り、左折。
 そこには、「市川関所跡」との立て札がたててありましたので、じっくりと読んできました。
 またまた、そこで妄想です。
 江戸時代前から明治までの流れが説明されているのです。
 その説明を読むたびにいろいろと妄想が沸いてくるのです。
 もともと、この川の名前自体、江戸時代前までは「太日川(ふといかわ)」と呼ばれていたみたいです。
 江戸時代以降に今の名前に変わったとのことでした。
 奈良・平安時代にこの周辺に「井上駅家(いかみのうまや)」と言って、公の使いが都に帰る時、ここで馬から渡し舟に乗り換えたようなんです。
 という説明が、つらつらと書かれているわけです。
 時代は飛び、幕末では、ここで旧幕府軍と新政府軍との激しい戦いがあったと説明されているんです。
 ということは、上野戦争で敗走してきた旧幕府軍の人たちが、ここまで逃げて来て、それを追いかけてきた新政府軍との戦いが、ここであったっていうことなんですね。
 
 それから、ずっと上流を上っていくと、「矢切の渡し」があります。
 流行歌のタイトルになったところです。
 「矢切」ということばは、戦争のない平和を祈る気持ちの言葉なんです。
 やはりここでも、江戸時代前なんですが、戦争があったんですね。
 里見家が統治していた村なんですが、敗北するんです。
 その戦争のとき、この村の老人・女・子どもたちは、悲惨な目にあったんです。
 それでそんな悲惨な目にはもうあいたくないって気持ちを「矢切れ」「矢切り「矢喰」(矢のない平和な世界を)って地名に込めたってことが、矢切の渡しからはずっと離れた所にある「庚申塚」に書かれています。
 その途中に、結構急な坂道があるのですが、その坂道の途中に「野菊の墓」の碑が立つお寺があります。

 いやぁ自転車だったですけど、結構疲れますね。
 フ〜ッ。