神社跡

 雑草に囲まれて、楠と銀杏の木たちの小さな森があった。
 その森の傍には、立て札が立っていた。
 その立て札には、「須賀神社跡」と書かれていた。
 そして、その立て札には、次の内容のことが書いてあった。
  昭和17年東京都が用地買収する前までは、ここに神社があったとのこと。
  この神社は、牛頭天王様(ごぜてんのう)を祭っていたとのこと。
  江戸時代には、神社を中心にして、租税から免ぜられる制度があったとのこと。
  この地域を「天王免」とも言ったとのこと。
  ここに神社があった頃は、神社に「きうり(野菜のきゅうりのこと)」を祭り、こども相撲大会が行われていたとのこと。
 神社は、用地買収のときに、移転済み。

 今は、小さな森の下には、こんもりと高く持ち上がった丘があり、その周りは石で囲まれている。
 たくさんの屋根瓦があたり一面に散乱し、石柱も無造作に放置されている。
 公園内の舗装された道路から外れた鬱蒼とした雑草の中に、その小さな森があるため、立て札に近づいて、周囲をよく見ないと、つい見逃してしまう風景。
 水元公園の中にあった神社跡でした。