理想の住処、30年前の住み処
千代田線表参道駅で途中下車をして、青山通りを日本橋方面に歩くと、ベルコモンズのある交差点に出くわす。
その交差点を左に曲り、少し坂道を下ると左に入る細い道がある。
その道を少し歩くと今度は右に曲る坂道がある。
その坂道沿いには、かつてはかなり荒れていたと記憶していたけれど、今はリニューアルされたお寺を通り過ぎると、そこには新築のマンションが建っている。
だが、今から30年以上も昔、ここには学生寮があった。
その学生寮は、M金属に勤務する子弟が住む寮だった。
寮生は、国大生から私大生の混在する学生寮だった。
寮費は、食事代(朝食100円、夕食300円、記憶違いかもしれない)だけだったと記憶している。
鉄門扉を入って右手に管理人室が一戸建て、そこには管理人さん夫婦と娘さんが住んでいた。
中庭を挟んで左側に木造2階建てのかなり老朽化した建物があり、そこには1年生が住んでいた。
右側がコンクリート立ての3階建ての、あの当時ではそれなりの建物が建っていた。
そして、そこには2年生以上が居住していた。
左右の建物を繋ぐ渡り廊下伝いに、給食室と食堂と談話室(TV設置)と共同風呂があった。
その寮の催し物は、春には食堂で行われる新入生歓迎コンパ、それが終われば日帰りか1泊の懇親会旅行。
最後の催し物は、卒業生の追い出しコンパである。
寮室は、原則1部屋二人の4畳半。
(ただし、その年次の入寮生の関係で、1人部屋になる時もある。)
蒲団を二人分敷いてしまえば、もう足の踏み場もない状態のプライベートなんて全く考慮外のそんな住処が、だった。
夏になると仲のいいもの同士で、それぞれがウィスキー瓶と氷と水、それから乾き物を持ち、屋上にのぼり、あの頃流行っていたロック音楽をラジカセで聴きながら、東京の夜空を見ながら、それぞれのそれこそ徒然なる思いを夜が明けるまで語っていた。
しかし、そこには素っ裸の思いが渦巻いた住処だった。
今から30年前に都内神宮前にあった住処の話でした。