チーズの目 30
この日記を読み返してみたら「チーズの目」っていうよりも「チーズの耳」って内容のことばかり書いてあるなぁ。
特に、ここの家のパパのひとり言が、本当に多いよなぁ。
まぁ、そんなにこだわる事でもないか。
今日も、昨日に引き続き朝から雨が降っている。
これだと、朝の散歩はないなぁ。
だから、僕はいつもの指定席で、ここの家のパパが流す音楽を聴きながら、身体を丸めている。
決して眠っているわけじゃないよ。
だって、ここの家のパパが動く気配がすれば、目が気配のする方に向くから。
今流れているのは、松任谷由実さんの「そしてもう一度夢を見るだろう」だ。
「そうか、このCDには、昨年自殺した加藤和彦さんの歌声が入るんだ」って、またここの家のパパのひとり言。
そして、「加藤和彦さんの自殺は衝撃的だったなぁ。」と言って沈黙。
それからまたひとり言が続く。
それを聞いていると、ここの家のパパは、かなり加藤和彦さんに心酔していたみたい。
一番最初の出会いが(と言っても実際に会ったわけじゃないけれど)フォーククルセイダースの「帰ってきたヨッパライ」。
これを聴いた時は、ある種のカルチャーショックだったって。
次に、手作り感のある「スーパーガス」(このアルバムの中では「不思議な日」を愛聴)を聴き、それからきたやまおさむさんとのデュッエット曲の「あの素晴らしい愛をもういちど」、その次がジョン・レノンさんが率いるプラスティック・オノ・バンドさんをもじったとしか思えないグループ名のサディスティック・ミカ・バンドさんの音楽を聞いたって。
「サイクリング・ブギ」、「タイムマシーンにお願い」とか「黒船」。
フォーククルセイダースの一日だけの復活のCD。
ごく最近だと和幸さんの「グレイテスト・ヒッツ」、「ひっぴえんど」。
40年位前に加藤和彦さんが音楽雑誌にエッセイを連載していて、そこに書かれた楽曲等も聞き漁ってたって。
だけど、今と違ってあの当時は、簡単に聴きたい楽曲を聴くってことができなかったんだって。
だって、今をときめくあの井上陽水さんも小室等さんが所有するレコードを聴くために、小室さん宅に出向いて、聴いていたっていう記事か放送を読むか聞いた記憶があるって。
そんな時代だったからね。
本当に今は、あの時代に比べるとすごくいい時代になったって。
だけど、その半面何かを手に入れることに対する貪欲なまでのハングリー精神が薄れてきたのかもしれないなぁって。
もちろん、すべての人がと言うわけじゃないよ。
いまでも、その日その日の暮らしに汗流している人が、たくさんいるっていうことも現実だから。
誰かが言っていたな「困ったときは、笑うのが一番。」
たしかに、笑うことは人間にとって身体的・精神的に一番いいみたいだって。
だからなのかなぁ、ここの家のパパは、昨年の暮から落語のCD(これも図書館から)を集めて聴いている。
特に、関西だと桂米朝さん、桂枝雀さん、笑福亭松鶴さん、関東だと六代目三遊亭圓生さん(もともとは関西人)、五代目古今亭志ん生さん、古今亭志ん朝さん、立川談志さん他たくさんの人たち。
名人級って言われる人たちの話芸は、本当にすごいって、時代を超越するって。
同じ演目でも、演じる人によって全然違うみたい。
これは、落語だけじゃなくてその他のことでも言えるんだと思う。
同じ楽曲でも演じる人によって、時に全く違う楽曲に聴こえることもある。
でも、僕たち犬は、笑うんだろうか。
そういえば、人間みたいに笑った記憶ってないなぁ。
僕が、嬉しい時は、後ろ足立ちになってはしゃぎまわるとか、尻尾を振るってことはあるけれど・・・。