チーズの目 27

 昨日は、ここの家のパパは遅くまで某公共放送番組を見ていた。
 同室の僕もつい一緒に見ていたら、昼間に行ったE川に時間と場所は違うけれど、よくここの家のパパが聴いているさだまさしさんも来ていたことがわかった。
 そのときのここの家のパパの顔は、あんまり驚くことでもないじゃないかという平静さを保とうという気持ちを隠しきれない凄くミーハー的な表情が入り混じった雰囲気だった。
 素直に、自分の感情を出せばいいのに、素直な感情を出すもんじゃないっていう一種の見栄なのかな。
 川に関して、以前ここの家のパパが言っていた事を思い出したんで、記録しておこう。
 10年くらい前にここの家のパパが単身赴任で大阪に行っていたとき、図書館で借りた(著者と題名を忘れてしまったんだって)「淀川」に関する本を読んで、折角近くに来たんだから淀川を踏破してみようと、3回に分けて踏破したんだって。
 かつて、この淀川を菅原道真公、今某公共放送の大河ドラマで放送されている坂本龍馬さんとか、その他実にたくさんの人が上り下りされたんだと思うと、その人たちと見ている景色は時代が変わっているんだから、相当変わっているんだけれど、なんか胸にじーんとくるものがあったって。
 それから、淀川踏破の時だけじゃないけれど、大阪へ行って相当なカルチャーショックを受けたって言ってたぁ。
 今もあるかどうかわからないけれど、ここの家のパパが単身赴任していた当時、淀川の河川敷にホームレスの方の居宅があって、そこは淀川が増水したときの対策として高床式になっているんだって、そして居宅の回りには垣が張り巡らされていて、その垣の中には犬小屋があって、犬を飼ってたみたいなんだって。
 こんな誰も訪れて来そうもない河川敷の中に、この垣根とは・・・う〜ん!悩むなぁって。
 この風景も今もあるかどうかわからないけれど、水道と公衆トイレのある公園には、必ずブルーシートで囲まれた居宅があり、たまに家族で暮らしている居宅もあったって。
 それを見て、「ああ、明日はわが身か」っていう気持ちとこれをなんとか解決できないのかなぁ、っていう焦燥感を抱いたんだって。
 それから、冬場の路上に布団一つで丸まって寝ている姿を見かけると、こんな場所で寒さが一番体力を奪うことになるのに大変だよなぁと、でも結局は何もできない無力感を痛感するだけ。
 何らかの力添えをしたいっていう思いはあるんだけれど、結局何にもできなか無力感。
 さらに無力感を感じたのは、行政主体の何らかの催し物をする時には、見た目をよくするだと思うけれど、その開催地近くのホームレスの人たちを一時的にどこかへ移してしまうやり方。
 なんで根本的な解決をしないんだって。
 それから、ここの家のパパは、さっきの「淀川」の本に影響されて、大阪・京都・奈良を日帰りの本格的な徘徊を始めたんだって。