チーズの目 24

 今、僕は夢の中にいたのに、ここの家のパパが近づく気配がしたので、目が覚めてしまった。
 そして、僕の頭と首の下を、ここの家のパパの指がまさぐるので、
 僕は、
 「う〜ん。やめてくれよ。」と前足で、ここの家のパパの手を払いのけようとしたんだけれど、だんだん気持ちよくなって、僕の意識がなくなっていくのがわかる。
 ああっ、このまま、気持ちよく眠れそうだ・・・ムニャムニャ。
 
 朝。
 今日は、小雨が降っている。
 肌寒くて小雨だったけれど、ここの家のママが、僕を散歩に連れて行ってくれた。
 散歩から帰って、ここの家のママは、雨で濡れた僕の身体を洗ってくれた。
 そのあと、丁寧にタオルで僕の身体を拭いてくれたけれど、まだ僕の毛は水気を含んで、そのせいか少し寒い。
 ドライヤーでさっと僕の毛を乾かしてくれようとしたんだけれど、
 「もう出かける時間だから」と言って、出ていってしまった。
 そして、僕は、いつもの指定席の毛布の上で丸くなって寝ている。

 ここの家のパパが起き出して来て、朝の準備を終えて、パソコンの前でメールのチェックをしたあと、また音楽を聴き始めた。
 今、流れているのはブラームスの「ヴァイオリン協奏曲 ニ長調
 (指揮:ハンス・シュミット=イッセルシュテット、ヴァイオリン:ジネット・ヌヴー、北ドイツ放送交響楽団、1948年録音モノラル)。
 僕は、ここの家のパパが、CDの解説書を読むのを聞いている。
 それによると、この録音はヴァイオリン演奏者のジネット・ヌヴーが死ぬ前年に録音(ライブ演奏)したものであり、この録音をした翌年(1949年)の10月28日に彼女と実弟のジャン・ヌヴー(彼は、彼女のピアノ伴奏者でいつも彼女の傍にいたとのこと)が、アメリカ大陸へ演奏旅行をするために乗り込んだ飛行機は、大西洋に墜落して「生存者なし」という事故を起こし、両名とも死亡したとのこと。
 彼女がなくなったのは30才2ヶ月と短い人生だった。
 「彼女たちは、もっともっと演奏をしたい夢を持っていたんだろうなぁ。
 でも、飛行機事故に出くわしたために、その夢を途中で終わらせなければいけなくなったのは、口惜しいことだったんだろうなぁ。」と、ここの家のパパは、ポソッと一言漏らしていた。
 今、僕が聴いているこの音楽が、彼女にとって最期の演奏になるんだって。
 戦後3年目のドイツのハンブルクにあるムジークハルの演奏会場で演奏した彼女のヴァイオリンを時空を超えた60年後の日本で、今聴けるってことは、本当は凄いことなんだとあらためて感動。
 そして、それは他のことにもあてはまることなんだよね。
 あまりにも、お手軽にいろいろな物・情報などが手に入れることができるから、その物・情報などの「大切さ」・「よさ」を忘れないようにしないといけないと。
 改めて、反省。
 ここの家のパパの世界、改めて見直してみると、驚くことばっかりなのに、その驚きを感じる心をどこかに置き去りにしたまま、歩き続けている。
 たまには、僕のように、匂いを求めて鼻をクンクンさせれば、もっともっとおもしろいことが見つかると思うんだけれど・・・。