[随感日記]持ち上がらない。

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何十年ぶりだろうか。
高校以来ではないかと思う、懸垂するのは。
近くの公園にある大人用の遊具、かつての「ぶら下がり健康器」だ。

子供が使う時には、必ず大人が付き添わないといけないとのことだ。
しかし、子供たちは、その「健康ぶら下がり器」のぶら下がり棒の上に登って遊んでいる。


いや、高校の時には、最低でも10回ぐらいは出来たと思うのだが、
全く自分の体が持ち上がらない。

そんなバカなと、トライしてみたが、

全く腕に力が入らない。
こんなに体力が落ちたのかという現実に、がっくりきている。
かつては、苦しくても、頑張れば、懸垂ができたのに。

ぶら下がることはできても、私の腕は、私の体を全く持ち上げることができなくなってしまっている。

[随感日記]認知症

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前の施設に勤めていた頃の男性の利用者さんの一人は、退職して相当の年数が経つのに、なぜか勤務していた時代の中で暮らしていた。
普通の会話かと思うと、タイムスリップして、勤務していた時代に戻り、「○○さん(当時の部下の名前らしい)今日は、誰が入っているの?」と、シフトの確認をしていた。
あの時、彼が見ていた世界は、私たちが見ていた世界とは、違っていたのだろう。
認知症というものがあることは、知識として知っていたが、実際の場面に遭遇すると、最初のうちは戸惑いがありますが、慣れてくると、その利用者さんの話に合わせるようになる。

しかし、考えてみると不思議なものです。
利用者さんが生きている時空間と同じはずなのに、利用者さんが体験している時空間と、私が体験している時空間が異なる。
脳が、そうさせているのでしょうが、実に不思議です。

別の利用者さんには、幻視・幻聴があって、時々誰もいない場所に向かって、話しかけている場面に遭遇しました。
これも、利用者さんの脳の中で、私と違う時空間を作り出しているということでしょう。
その利用者さんには、どういう世界が、見えているのか、実に不思議です。

それから、脳について興味を持ち、図書館の本をいろいろと読んでみましたが、まだまだ謎の部分が残っているということはわかりました。
意識がどうやって生じるのかということを研究している人がいるようですが、未だに全てが解明されていないというのが、現状だということはわかりました。

[随感日記]音楽の思い出。

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♫花咲く花散る東京。
♫雲か嵐か稲妻か

小学校に上がる前に聞いた曲だと思うのだけれど、今も耳に残っている。
島倉千代子さんの「からたち日記」も、なぜか耳に残っている。
小学3・4年頃に、近所の中学生のお兄さんから、ビートルズの日本編集「ステレオ!これがビートルズ」のレコードを借りて聴いて衝撃を受けたが、それよりも「哀愁のカレリア」の方が、お気に入りだった。

再度、ビートルズにであったのは、ギター雑誌の付録についていた「ビートルズ全曲集」の楽譜だ。
アルファベット順に曲が紹介されていたと記憶する。
聴いた曲も少しはあったが、殆どが聴いたことがない。
それから、どんな楽曲なのか知りたいと少ない小遣いから購入したのが、「オールディーズ」だった。
あとは、当時の学友からレコードを借りて、聴いた。
完全にビートルズに、ハマってしまったが、肝心のビートルズは、解散する噂が流れ、結局解散となった。

それからは、ちょうど吉田拓郎加川良井上陽水らのフォークソング時代が開幕。
高一の時、同級生の伝手を頼って、拓郎の「文化祭」を見に行って感動を覚えたものです。
友人は、下着だったと記憶しているが、それにサインを貰っていた。
その経緯は、抜け落ちている。

ビートルズなきあとは、個になったビートルの一人であるジョン・レノンと当時流行し始めていたシンガーソングライターと言われたエルトン・ジョンジェームス・テイラー、T・レックス、ピンク・フロイドを聴いていた。
密かに、あがた森魚「乙女の儚夢」、遠藤賢司さん、井上陽水さんのアルバムを聴いてました。
FM放送は、NHKだけという地方都市ですから、新譜は深夜放送だった。

やはり、都会に出てきてびっくりしたのは、民放のFM局の存在でした。
NHKも当時は(今もそうかもしれないけれど)、若者向けの音楽番組をFM放送してました。
渋谷陽一さんの番組は、結構聴いていた。

学生寮の友人に、当時ロックに詳しい奴がいて、彼から色々な情報や、色々な音楽のカセットテープを聴かせて貰った。
その友人の友人が持っているレコードから録音してくるとのことだった。
今から思うと、かなりのレコードを持っていたのかな。
エリック・クラプトンジェフ・ベック、ディープ・パープル、ローリングストーンズ、ロリー・ギャラガー、ゴンゾー等々。
で、その友人と中野にロリー・ギャラガーとレインボーのコンサートを聴きに行ったことがあった。
因みに、その友人が好きなのは、ジョニーウィンターだった。
これまでビートルズとか、フォークソングというものは、殆ど聴いてこなかったと言っていたなぁ。
途中から、イルカのアルバムをカセットに録音したのを聴いていた。

卒業する前に、その友人は、「卒業したら、今後一切連絡しないから」と言っていた。
彼だけでなく、当時一緒に生活していた他の人の連絡先についても、情報交換してないないなぁ。
就職先の研修とか、引っ越しとかで、バタバタしていた記憶がある。
でも、布団等の荷物を実家に送るのに、専門業者でなく自分たちでやったような記憶がある。
まぁ、お互いバタバタと忙しくしていたからかもしれないけれど、その後一度も彼らと会っていない。
今も元気で暮らしているだろうか。

その中の一人は、高校の同級生だ。(学生時代はかなりの酒豪で鳴らした)就職して、地元の銀行に就職したが、それほど経たない時に、私が帰郷した時、父親から、酒を飲んで帰宅する途中で、亡くなったという事を聞いた。

自分自身が、自分以外の人との関係をあまり深く考えてこなかったことも要因だろうが、本当に他者とのつながりが少ない。
そのくせ、こうやってブログを書いているということは、本当は寂しがりやなのかな。

TVの思い出。

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TVとの付き合いは、かなり早かったようだ。
と言うのは、生まれてから、社宅住まいだったので、社宅の集会所があり、そこにはTVが備え付けられていたそうだ。
そのTVの前の場所を私は、占領していたそうだ。
それで、他の家より早く、TVを買ったということを生前に祖母から聞いた記憶がある。
本人は、まったく覚えていないが。

で、鮮烈に覚えているのが、「七色仮面」と「ナショナルキッド」だ。
「怪傑ハリマオ」
まぼろし探偵
「トンマ天狗」大村崑主演
お笑い三人組
「事件記者」
人形劇
チロリン村」
「ケペル先生」
ブーフーウー
伊賀の影丸
アメリカのTVドラマ。
「三バカ大将」
ちびっこギャング
「ラッシー」
「コンバット」
ララミー牧場
「ボナンザ」
「ルーシーショー」
アニメ
鉄腕アトム
「8マン」
「おそ松くん」
「秘密のアッコちゃん」
魔法使いサリー
「スーパージェッター」
「風のフジ丸」
「W3」
「宇宙少年エース
「宇宙少年ソラン」
ジャングル大帝
リボンの騎士
狼少年ケン
トムとジェリー
巨人の星
タイガーマスク
「アタックNO1」
「ハリスの旋風」
あしたのジョー
カムイ外伝
悟空の大冒険
「おばけのQ太郎」「パーマン」「怪物くん」
ディズニー
「忍者部隊月光」
「琴姫七変化」
「隠密剣士」
仮面の忍者赤影
ウルトラQ」から始まる特撮。
マグマ大使
「透明人間」
「チャコちゃん」シリーズ
しかし、よく覚えているもんだ。
青春モノでは、
「あいつと私」
「太陽野郎」
大河ドラマでは、
源義経
太閤記
「咲子さんちょっと」
「若者たち」
これらのTV番組が当時の子供たちに与えた影響とは、一体なんだろう。
あらすじは、基本的には、主人が善の勧善懲悪だったと思う。
殆どのあらすじは、忘れているけれど、主人公のイメージは正確には再現できないけれど、覚えている。

読書の思い出。

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小学生の時、学校の図書室だったか、学級文庫だったか忘れてしまったけれど、小学生用の「南総里見八犬伝」と「プルターク英雄伝」を読んだのが、分厚い本の最初と記憶している。
学級文庫には、偉人の伝記が並べられていたので、それも読んだ記憶がある。

中学に入ってからは、図書室を利用した記憶がない。
その代わりに、通学途中で駅前の本屋さんで、角川文庫か新潮文庫を購入していたのではないかと記憶する。
中学3年の時の担任から何冊か借りたなかに庄司薫さんの「赤頭巾ちゃん気をつけて」とか、「独学のすすめ」があったように記憶する。
それと高野悦子さんの「二十歳の原点」とか、「高校生無頼」なんてのも読んだ記憶がある。
本多勝一さんの「殺される側の論理」とか「アメリカ合衆国」とかの書名も記憶している。
エーリッヒ・フロムさんの「自由からの逃亡」も読んだけれど、中高生が、理解できる内容じゃなかったはずなのに、一応読んでみたという感じです。

確か、あの当時は、都会では学生運動があったとテレビで放送されていたので、その影響かもしれないが、地方に住む私には、ほとんど関係のない話だ。
その時に、カミユの「異邦人」の話もあったと記憶している。
その後、カミユの著書は、新潮文庫版を購入して高校の時に、読んだ。

高校に入ってからも、専ら文庫を購入して読んでいたと記憶している。
でも、親からもらう小遣いの範囲内だから、そう多くは買えなかったと思う。
まず、芥川龍之介にはまり、それから太宰治坂口安吾を読みながら、カミユ、ジッド、ヘルマン・ヘッセトルストイ魯迅等々。
庄司薫の「薫くんシリーズ。」は、文庫になる前のを買った。「狼なんか怖くない」「バクの飼い主をめざして」と、福田章二「喪失」。
それに感化されて、都内の高校生は、こういう本を読んでいるのかと、つい見栄を張って理解できない本にも手を出したのかもしれない。

倉田百三の本も買っていたけれど、ほとんど読んでないなぁ。
日本の推理小説も読んでいたなぁ。
それに、遠藤周作さんの「ぐうたらシリーズ」
ビートルズの伝記本もありました。
旺文社文庫で、「ゲーテ詩集」夏目漱石「坊ちゃん」「草枕」。

作家名は忘れたけれど、ギリシアの哲学者の名前が入ったタイトルのシリーズものだった。
高校の図書室も利用したと記憶しているけれど、何を読んだか、今では思い出せない。
きっかけがなんだったか忘れたけれど、安部公房さんの本も読んでたなぁ
それに、あの当時の新作ということで、「箱男」を買った覚えがあるのに、内容はほとんど覚えていない。
「壁」「他人の顔」とかも、読んだはずなのにすっかり忘れている。
大河ドラマの原作本も読んでいた。
それと、当時の岩波新書の新刊が出るたびに、1冊買っていたのを思い出した。
学校の勉強はしないのに、そんな本ばかり読んでいたなぁ。
浪人時代は、予備校の本屋さんと駅のコンコースにある本屋さんで文庫を買ったが、とにかく書棚に並べられている本の量の多さには、とにかく驚かされた。

大学に入り、もっと驚いたのは、渋谷の本のデパート「大盛堂」等に入った時だ、各階にこれでもかというくらいの本が、並べられているのを見たことがなかった。
それに、各種の専門書が、これほどあるのかと、都会と地方の文化の格差をマジマジと実感させられた。
私が住んでいた市立図書館の蔵書もこんなには、なかったと記憶している。

しかし、あの当時は、学校・区立図書館をあまり利用しなかったなぁ。
自分で自由になる時間は、今よりもっとあったはずだから、読書に費やせたはずなのに。

2年生の終わりぐらいから、合コンで知り合った女性と付き合い始めて、そちらに時間を費やすことが多くなったからかな。
2年の夏前に同好会に入り、そこで時間を費やすことが多くなり、終わりごろには、寮(父親の勤務先の子弟)の同級生(学校は違う)から、バイト代を元手に合コンをしようということになり、代々木公園で集合して、その後渋谷に飲みに行った。
そこで出会った女性とその後付き合うことになって、それからは、その人との時間を作ることに忙しかった。
でも、あの当時は、アガサ・クリスティーエラリー・クイーンとかにハマっていて、手に入れられる文庫は、購入していた。
それと、寮の管理人さんから、今まで読んだことのない三浦綾子さんの本を借りて読んでいた。
五木寛之の「青春の門」も、読んでたよなぁ。
ラジオ放送を聞いて、その存在を知った橋本治さんの「桃尻娘」シリーズ。

中学か高校の教師になることを夢見ていたけれど、それに関係する本って、あの当時ほとんど手にしていないなぁ。

思い出した、付き合ってた彼女は、クリスチャンの学校だった関係で、洗礼は受けてなかった思うが、曽野綾子さんに感化されていた。
それで、曽野綾子さんの本も読んでた。
テレビドラマになっていた原作本も読んだなぁ。
城山三郎さんの本も、読んでたなぁ。

そういえば、読書ノートみたいなものを作って、読んだ本の著者名と書名を書き残していたことがあった。
だけど、そこには読んだ感想は書いていなかった。
今思えば、そのノートに感想でも書いていれば、少しでも後で役に立ったかもしれないと思うと、すごくもったいないことをしたもんだ。

社会人になってからは、歴史小説経済小説と軽めの赤川次郎さんの推理小説
上司の勧めで司馬遼太郎さんの歴史小説を入り口にして、十八史略
そこから、中国の古典ものである「孫子」「論語」とう。
子供に連れられて、地元の図書館に足を運んだけれど、分館ということもあって、そんなに蔵書がない
ように思えた。
だが、人気のある本は予約でいっぱいで書棚に並ぶことがないということに気づいた。
それと、図書館に蔵書がなければ予約すれば新たに購入してくれるということを、知ってからは、専ら図書館頼りだ。
それに、ネット社会になってかは、ネットで蔵書があるかどうかのチェックができ、ネットで予約もでき、準備ができればネットで連絡が入るという便利さ。
ただ地元の図書館で、残念なのは、蔵書がない時の予約が、ネットでできないってことだ。

一時期作っていた「読了ノート」は、ワープロを買った時に、そちらに移し替えたが、数年もするとワープロの時代ではなくなり、今度はパソコンに再入れ替えを行ったが、そのパソコンも処分してしまい、今はiPadに入れ替えた。

だが、現代は、読書感想を残せるアプリができたので、それを利用している。
それからは、ほぼ読了した本は、そこにレビューをアップしているので、大いに助かっている。

それなのに、かつて読んだ本を、また図書館から借りて読んでいた。
記録は残っているけれど、記憶はないという、なんとも情けない状態だ。
しかし、記録が残っているので、その記録を読むと、私の記憶からは消えているけれど、かつて読んだみたいだと記録があるから、読んだことは間違いないようだ。

今から30年ぐらい前に、「普通の人を主体にした歴史書」はないかと調べたことがある。
当時の図書館には、私が求めるテーマの本は、それほど多くはなかったが、最近の歴史学では「社会史」というものが新しく加わったとのことです。

介護に関わって余計に、普通の人の視点から捉えた歴史書って、あったらいいなぁと思います。

チーズの友達。

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チーズの心臓が悪くなっていない時によく散歩に来た公園。
あの時は、公園にあるベンチに腰掛けることもなく、ただ通り抜けていた。

今日は、2カ所の病院に健康診断に行き、その帰り道に、風が結構吹いていたけれど、その公園のベンチに座ってボーッとしていたら、チーズが生きてた頃のチーズの友達が、飼い主さんと一緒に私の前を通り過ぎようとした。
その時、そのチーズの友達は、私のことを覚えていたようで、飼い主の意向に逆らって私の方に来ようとする。

そう言えば、チーズはその友達よりも飼い主さんの方に愛想を振りまいていた。
チーズが素っ気なくするものだから、その友達は、私の方に愛想を振りまいていたことを思い出した。
私のことを覚えていてくれたんだと思うと、うーん、他の家の犬だけれど、思わず「愛い奴よ」と言いたくなる。
その飼い主さんとも面識はあるけれど、私の方に犬がいないから、迷惑をかけちゃいけないと思ったから、私の方に来るのを制止したんだろうなぁ。

そんな風にして、チーズと散歩している時は、自然と見ず知らずの人と挨拶を交わしていたけれど、犬を連れていないと、ただの老人だから、まぁ挨拶を交わすってこともなくなるよなと、ふと寂しさを感じる。

暗くなってきたし、風も冷たくなって来たので、家に帰ることにした。

図書館にて、

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ここのところ地元の図書館に入り浸り状態です。
それで、書棚に並べられた本の背表紙をじっくりと見ながら、今の自分にとってどの本が一番大切なんだろうと考えながら見ている。
他者が考えたことって、ある種その人の妄想に近いものではないかと思うと、それが自分に何かの役立つのだろうかという、それこそ今度は、自分の妄想の虜になっている。
では、科学書の類は、客観的な事実が記載されているのだから、信じられそうな気がする。
化学書を見ると、分子式が書かれているけれど、その分子とやらは、どうやって発見したんだろうという疑問が生じる。
今まで、何につけても、これが結論で、正解だからと教えられてきたと記憶する。
でも、それだとさっきのような疑問が生じてきても、納得できないから、結局スルーするしかなかった。

そうやって自分の外を見渡してみると、結構疑問だらけです。
何故、星が光って見えるのか。
星自体が光を放っているとは、思えない
この宇宙に限りがあるんだろうかって?
まったくもって想像がつかないのです。

宇宙の始まりってのも、理解できない。
無から有が、発生した?
発明品が、次々と発明されてきたけれど、大本の材料は、不思議なことに存在した。
人工的に作ったとしても、その大本になる原料は、存在した。
原料がなければ、出来ないわけだから。
しかし、人間が手を加えたことによって、本来この世界になかったものを作り出したことによって、問題を起こしているけれど。

道具を作るだけだと、他の動物にもできるけれど、道具を作るための道具を作るのは、人間だけ。
確かに、人間は他の動物と違う。
これは、南直哉僧侶の受け売りです。
彼の理屈も、分かったようで、わかりにくい。

仏教には、絶対的な神が存在しないから、非常に理屈っぽいものになるようだ。
根本は、「諸行無常」「諸法無我」「縁起」とのことだが、わかったようで、わかりにくい。
生きることの意味についての「答えはない」というのが、「答え」で、「問い続ける」ことだとのことだが、わかったようでわかりにくいものです。