看取りケア
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部屋の明かりを消して、スタンドの明かりで本を読んでます。
つい、日中は暑さのせいで読書する気力が殺がれてしまいました。
人はなぜひとを「ケア」するのか――老いを生きる、いのちを支える
- 作者: 佐藤幹夫
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2010/11/11
- メディア: 単行本
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「人の死は、当たり前の事実である。言葉では誰もがそのことを知っている。しかし本当にそうなのか。
少なくとも、死に逝く人と最期の時を過ごす、大事な人を看取るという体験は、すべての人が持っているわけではない。」
自分の記憶を思い返してみました。
確かに、今まで映画やTVドラマや小説では、数え切れないほど人の死に直面する場面に出会いましたが、実生活では、過去一度も経験したことがないってことに気がついたんです。
身内の葬式は、祖母・義父・義弟・おじと立ち会っています、すべて死後に連絡を貰い、既に他界した後に対面していますから、死に逝く時間を共有したことはないです。
医師は、「臨終の間際になったときに家族を病室の外に出し、延命治療をする。蘇生処置を施し、呼吸が回復したとしても、人工の装置と多くのチューブで”生かされている"姿を見て、家族も言いようのない衝撃と後悔を覚える。医師たちも、そのような死に、少しずつ疑問を持ち始めている。−こうした話は、最近ではしばしば見聞きするようになった。」
もし、自分が死に逝く者だったとしたら、延命治療または蘇生処置を施してもらって、スパゲッティ状態になっても、生き続けることを望むだろうか、それとも天命なんだと死に逝く時間を身近な人たちに囲まれて「グッドバイ」することを望むだろうか。
今の自分としては、スパゲッティ状態で生かされるよりも、死に逝く方を選ぶ。
だけど、実際に死に直面したとき、私はどちらを選ぶのだろう。