ちょっと一言説明を。

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「チーズの目 142 受売りだけど」の内容について一言。
勢古浩爾さんの著書を読みました。
その中に参考文献として内田樹さんの『下流志向』があり、(それは今も読んでるのですが)その中に諏訪哲二さんの『オレ様化する子どもたち』のことを題材にして書かれた文書があり、それを読んでいてちょっと気になる部分があったので、それであれば原典をあたってみようと、『オレ様化する子どもたち』をやっと読み終えたところです。
その中で、気づかされたのが、著者の戦後史の区分方法とその時代特性を読み「目から鱗」状態になってしまいました。
簡単に言うと
・農業社会〔敗戦〜60年(昭和35年)ぐらい〕
  地域的な共同性が残っている・・・子どもたちが縦の年齢集団で集団遊びをした
・産業社会〔60年〜75年(昭和45年)ぐらい〕
  TVの家庭への普及、空き地の消滅などで子どもたちが外で遊ばなくなった
・消費社会〔76年〜現在〕
  80年以降完全に子どもたちが変わった。
  消費社会の影響を受け、すべての行動(授業を受ける事等)が等価交換を基準に基き行われるようになってきた。

そのキャラクターの違いを著者はこのように説明しています。
掃除の時教師が机を運ぼうとする。
農業社会の生徒   「先生、私が運びます。」
産業社会の生徒   教師と一緒に運ぼうとしたり、教師がやっているのだから私もやらなくちゃと思う生徒。
消費社会の生徒   あまりやりたがらない、極端な子は教師がやっていても手を拱いて見ている。「やりなさい」と声を掛けても
ちょっと身体を移動するだけ、教師とクラスの仲間とも共同性を感じてない。
(共同体経験がないので、「オレ様化」になってしまったと言うことです。
  個人差・地域差がありますから、すべて上記通りと言うことではありません。)


疑問をもったのは、消費社会は日本だけじゃなく先進国全体に発生するのではと?
西欧の場合は、日本のように大事(甘やかして)に育てない。
対等な立場で、厳しく育てる、またキリスト教が重要な鍵を握るようだ。

本の一部だけを説明してます。
相当わかりづらい文章だと思いますが、お許して下さい。

興味がもたれた方は、一読してみて下さい。
読後、書いていた内容と違うじゃないかとのお叱りは、あるかとは思いますが。


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