図書館にて、

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ここのところ地元の図書館に入り浸り状態です。
それで、書棚に並べられた本の背表紙をじっくりと見ながら、今の自分にとってどの本が一番大切なんだろうと考えながら見ている。
他者が考えたことって、ある種その人の妄想に近いものではないかと思うと、それが自分に何かの役立つのだろうかという、それこそ今度は、自分の妄想の虜になっている。
では、科学書の類は、客観的な事実が記載されているのだから、信じられそうな気がする。
化学書を見ると、分子式が書かれているけれど、その分子とやらは、どうやって発見したんだろうという疑問が生じる。
今まで、何につけても、これが結論で、正解だからと教えられてきたと記憶する。
でも、それだとさっきのような疑問が生じてきても、納得できないから、結局スルーするしかなかった。

そうやって自分の外を見渡してみると、結構疑問だらけです。
何故、星が光って見えるのか。
星自体が光を放っているとは、思えない
この宇宙に限りがあるんだろうかって?
まったくもって想像がつかないのです。

宇宙の始まりってのも、理解できない。
無から有が、発生した?
発明品が、次々と発明されてきたけれど、大本の材料は、不思議なことに存在した。
人工的に作ったとしても、その大本になる原料は、存在した。
原料がなければ、出来ないわけだから。
しかし、人間が手を加えたことによって、本来この世界になかったものを作り出したことによって、問題を起こしているけれど。

道具を作るだけだと、他の動物にもできるけれど、道具を作るための道具を作るのは、人間だけ。
確かに、人間は他の動物と違う。
これは、南直哉僧侶の受け売りです。
彼の理屈も、分かったようで、わかりにくい。

仏教には、絶対的な神が存在しないから、非常に理屈っぽいものになるようだ。
根本は、「諸行無常」「諸法無我」「縁起」とのことだが、わかったようで、わかりにくい。
生きることの意味についての「答えはない」というのが、「答え」で、「問い続ける」ことだとのことだが、わかったようでわかりにくいものです。