読書の思い出。

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小学生の時、学校の図書室だったか、学級文庫だったか忘れてしまったけれど、小学生用の「南総里見八犬伝」と「プルターク英雄伝」を読んだのが、分厚い本の最初と記憶している。
学級文庫には、偉人の伝記が並べられていたので、それも読んだ記憶がある。

中学に入ってからは、図書室を利用した記憶がない。
その代わりに、通学途中で駅前の本屋さんで、角川文庫か新潮文庫を購入していたのではないかと記憶する。
中学3年の時の担任から何冊か借りたなかに庄司薫さんの「赤頭巾ちゃん気をつけて」とか、「独学のすすめ」があったように記憶する。
それと高野悦子さんの「二十歳の原点」とか、「高校生無頼」なんてのも読んだ記憶がある。
本多勝一さんの「殺される側の論理」とか「アメリカ合衆国」とかの書名も記憶している。
エーリッヒ・フロムさんの「自由からの逃亡」も読んだけれど、中高生が、理解できる内容じゃなかったはずなのに、一応読んでみたという感じです。

確か、あの当時は、都会では学生運動があったとテレビで放送されていたので、その影響かもしれないが、地方に住む私には、ほとんど関係のない話だ。
その時に、カミユの「異邦人」の話もあったと記憶している。
その後、カミユの著書は、新潮文庫版を購入して高校の時に、読んだ。

高校に入ってからも、専ら文庫を購入して読んでいたと記憶している。
でも、親からもらう小遣いの範囲内だから、そう多くは買えなかったと思う。
まず、芥川龍之介にはまり、それから太宰治坂口安吾を読みながら、カミユ、ジッド、ヘルマン・ヘッセトルストイ魯迅等々。
庄司薫の「薫くんシリーズ。」は、文庫になる前のを買った。「狼なんか怖くない」「バクの飼い主をめざして」と、福田章二「喪失」。
それに感化されて、都内の高校生は、こういう本を読んでいるのかと、つい見栄を張って理解できない本にも手を出したのかもしれない。

倉田百三の本も買っていたけれど、ほとんど読んでないなぁ。
日本の推理小説も読んでいたなぁ。
それに、遠藤周作さんの「ぐうたらシリーズ」
ビートルズの伝記本もありました。
旺文社文庫で、「ゲーテ詩集」夏目漱石「坊ちゃん」「草枕」。

作家名は忘れたけれど、ギリシアの哲学者の名前が入ったタイトルのシリーズものだった。
高校の図書室も利用したと記憶しているけれど、何を読んだか、今では思い出せない。
きっかけがなんだったか忘れたけれど、安部公房さんの本も読んでたなぁ
それに、あの当時の新作ということで、「箱男」を買った覚えがあるのに、内容はほとんど覚えていない。
「壁」「他人の顔」とかも、読んだはずなのにすっかり忘れている。
大河ドラマの原作本も読んでいた。
それと、当時の岩波新書の新刊が出るたびに、1冊買っていたのを思い出した。
学校の勉強はしないのに、そんな本ばかり読んでいたなぁ。
浪人時代は、予備校の本屋さんと駅のコンコースにある本屋さんで文庫を買ったが、とにかく書棚に並べられている本の量の多さには、とにかく驚かされた。

大学に入り、もっと驚いたのは、渋谷の本のデパート「大盛堂」等に入った時だ、各階にこれでもかというくらいの本が、並べられているのを見たことがなかった。
それに、各種の専門書が、これほどあるのかと、都会と地方の文化の格差をマジマジと実感させられた。
私が住んでいた市立図書館の蔵書もこんなには、なかったと記憶している。

しかし、あの当時は、学校・区立図書館をあまり利用しなかったなぁ。
自分で自由になる時間は、今よりもっとあったはずだから、読書に費やせたはずなのに。

2年生の終わりぐらいから、合コンで知り合った女性と付き合い始めて、そちらに時間を費やすことが多くなったからかな。
2年の夏前に同好会に入り、そこで時間を費やすことが多くなり、終わりごろには、寮(父親の勤務先の子弟)の同級生(学校は違う)から、バイト代を元手に合コンをしようということになり、代々木公園で集合して、その後渋谷に飲みに行った。
そこで出会った女性とその後付き合うことになって、それからは、その人との時間を作ることに忙しかった。
でも、あの当時は、アガサ・クリスティーエラリー・クイーンとかにハマっていて、手に入れられる文庫は、購入していた。
それと、寮の管理人さんから、今まで読んだことのない三浦綾子さんの本を借りて読んでいた。
五木寛之の「青春の門」も、読んでたよなぁ。
ラジオ放送を聞いて、その存在を知った橋本治さんの「桃尻娘」シリーズ。

中学か高校の教師になることを夢見ていたけれど、それに関係する本って、あの当時ほとんど手にしていないなぁ。

思い出した、付き合ってた彼女は、クリスチャンの学校だった関係で、洗礼は受けてなかった思うが、曽野綾子さんに感化されていた。
それで、曽野綾子さんの本も読んでた。
テレビドラマになっていた原作本も読んだなぁ。
城山三郎さんの本も、読んでたなぁ。

そういえば、読書ノートみたいなものを作って、読んだ本の著者名と書名を書き残していたことがあった。
だけど、そこには読んだ感想は書いていなかった。
今思えば、そのノートに感想でも書いていれば、少しでも後で役に立ったかもしれないと思うと、すごくもったいないことをしたもんだ。

社会人になってからは、歴史小説経済小説と軽めの赤川次郎さんの推理小説
上司の勧めで司馬遼太郎さんの歴史小説を入り口にして、十八史略
そこから、中国の古典ものである「孫子」「論語」とう。
子供に連れられて、地元の図書館に足を運んだけれど、分館ということもあって、そんなに蔵書がない
ように思えた。
だが、人気のある本は予約でいっぱいで書棚に並ぶことがないということに気づいた。
それと、図書館に蔵書がなければ予約すれば新たに購入してくれるということを、知ってからは、専ら図書館頼りだ。
それに、ネット社会になってかは、ネットで蔵書があるかどうかのチェックができ、ネットで予約もでき、準備ができればネットで連絡が入るという便利さ。
ただ地元の図書館で、残念なのは、蔵書がない時の予約が、ネットでできないってことだ。

一時期作っていた「読了ノート」は、ワープロを買った時に、そちらに移し替えたが、数年もするとワープロの時代ではなくなり、今度はパソコンに再入れ替えを行ったが、そのパソコンも処分してしまい、今はiPadに入れ替えた。

だが、現代は、読書感想を残せるアプリができたので、それを利用している。
それからは、ほぼ読了した本は、そこにレビューをアップしているので、大いに助かっている。

それなのに、かつて読んだ本を、また図書館から借りて読んでいた。
記録は残っているけれど、記憶はないという、なんとも情けない状態だ。
しかし、記録が残っているので、その記録を読むと、私の記憶からは消えているけれど、かつて読んだみたいだと記録があるから、読んだことは間違いないようだ。

今から30年ぐらい前に、「普通の人を主体にした歴史書」はないかと調べたことがある。
当時の図書館には、私が求めるテーマの本は、それほど多くはなかったが、最近の歴史学では「社会史」というものが新しく加わったとのことです。

介護に関わって余計に、普通の人の視点から捉えた歴史書って、あったらいいなぁと思います。