情けない。

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前の職場の施設長から最終日に、有給休暇が取れるとの話があった。
それで、退職届を出す時に、退職日は、有給消化最終日で提出してもらうように空白で出した。
施設長を信頼していたのだが、会社から届いた連絡書には、なんと就業最終日の3月末日になっているではないか。

これだと有給は取れないということになる。
それで労基に相談に行ったところ、退職日を空白で出したことが間違いだとの指摘を受けた。
まさか、施設長を信頼した行動が裏切られるとは、
「信じる者は、裏切られる」とは、こういう事を言うのかと、自分の愚かさを恥じてます。
労基の相談員から、「民事で争うことができる」とのアドバイスは貰ったけれど、今までの会社の対応には、ゲンナリしていたので、これ以上関わりたくないとn思いがあるので、民事交渉は断念することにした。

有給消化するときは、有給最終日を記載して、今日から20日後に退職するが、その間は有給取得しますと企業に言わないといけないということです

情けない。

立ち話。

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新しい職場で1週間が過ぎた。
先輩に同行して、仕事の内容を覚えている。
覚えることが多いのは、いささか閉口だ。
利用者さんの家までのルートを覚えるのは、結構大変だ。

それと利用者さんの名前と顔を覚え、利用者さんのことと家族のこととか、以前の職場と違って、利用者さんの人数が多いのには、驚いている。
それと以前の職場のようには、自由に動けないというのは、結構きつい。
職場内の人間関係も、派遣社員も結構いて、なかなか難しい。

早速、利用者さんの家族から、クレームがあった。
自分としては、結構謙虚な気持ちで対応しているのですが、なぜか偉そうに見えるようです。
本人の内面はビクビクもので、言葉がうまく出てこない。
それが、相手から見ると、偉そうだという印象を与えるようです。
しかし、馴れ馴れし言動は、自分のキャラじゃないと思っているから、それがダメなんだろう。

分かっちゃいるけれど、改められない。

決して偏見ではないけれど、女性の方が男性より、社交家だと思う。
よくもまぁ、そんなに話すことがあるよなぁと感心させられる。
よく見かける風景だが、路上、公園等で立ち話をしているのは、ほぼ女性で、なんの話をしているのだろうと興味はわくけれど、それにしても長い間、よく話してます。

花嫁の父。

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若い時から、つい飲酒が自分の許容量を超えると、眠くなるという習性がある。
最近は、それだけでなく、手足に痙攣が起きるということが、つけ加わった。

それに、飛蚊症のような現象も起きる。
本日は、南青山の教会で、娘の結婚式があるので、それに参加した。

一年前ぐらいだろうか、娘が入籍したというので、先方の両親と顔合わせをするということになって、大手町の高級レストランで、食事会を行った。
その時も、控えめに飲んだつもりなのだが、会が終わるころ、突然左足がつるという現象が起きた。

その後、皇居の周りを相方と娘夫婦と散歩したら、治った。
きっと、冷房が効きすぎて、それの影響だと思うのだが。

そのあと、10月頃に相方の親族の娘さんが、東京タワーの近くの式場で結婚するというので、家族全員で参加した。
あの時も、飲みすぎたのか、飛蚊症のように、点滅する光を感じた。
式の後、他の家族は、東京タワーの中で催し物があるということで、私以外タワーの中に入って行った。
私は、只管風にあたりながら、体内からアルコールが抜けるのを待った。
思い出してみると、家族で東京タワーに来たことが一度もなかった。
私自身は、通勤の途中で降りて、それから「東京散歩」をしていたから、表参道駅で降りて青山墓地を抜け、東京ミッドタウンを横目に見て、東京タワーまで行き、それから虎ノ門を抜け、霞が関、皇居の周りを大手町駅で、地下鉄に乗るというルートを使ったことがある。
東京タワーに行く途中の六本木あたりの坂の下に墓地を見つけ、こんなところに墓地があるのかと、違和感を覚えた記憶がある。

そして、今日は、新婦の父という大役。
式の前に打ち合わせを行った。
ヴァージンロードを歩く練習を係員と行った(一歩進んでは立ち止まり、それから逆の足を一歩踏み出しては立ち止まるという歩き方は、普段途中から戸惑った)

式の前に、ウェディングドレスを身につけた娘との顔合わせを行ったが、その姿を見た時、なぜか目頭が思わず熱くなった。
娘の結婚式で泣くことはないという自信のようなものがあったのだが、なんなんだろうこの感情は、しかし式を滞りなく終えるために、相方と娘とで、練習を行った。

いざ本番。
頭の中が、真っ白ではないが、普段と違う歩き方に戸惑い、一歩踏み出して立ち止まる時、あれっさっきどっちの足出したのかが、わからなくなるということになってしまった。

その後は、特に失態を犯すことはなかった。

しかし、披露宴で久しぶりの飲酒ということで、また途中からアルコールが回り始めていた。
披露宴の最終で、新郎新婦の花束贈呈の時、体調が悪いなぁと思いながら、立っていた。
その時には、意識があると思っていたのだが、夜家に帰って、家族が映したビデオを見ていると、なんと新婦の両親への手紙を読み上げる時とか、新郎の父親の最後の言葉の時に、欠伸をしているではないか、途中で立ちながら寝ていたようで、それを会い方から注意を受けているではないか。

自分の意識と客観的事実としてのビデオ映像が暴いた自分の態度が違っていることに気づかされた。

いままでも、こんなことが起きていたのではではないだろうかと思うと、なんて情けない奴だと自己嫌悪になりました。

交わる。

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今日は、長女の結婚式。
とは言っても、既に昨年の今日、入籍済なんです。

もう一人前の大人ですから、親としての責任は果たしたと思ってます。
しかし、いざ自分のこととなると、親から見ると、未だに自分は子供で、親から叱責を受け、相方の弁によると、私は見放されている状況なんだそうです。

まぁ、それは仕方ないです。
ほとんど、連絡は取ってないのですから。
なぜ、取らないかというと、いつまでも子ども扱いして、いろいろと口うるさく言われると、自分が悪いと思っていても、つい反発してしまう。
母が生きている時は、間に入って調整してくれたのですが、

性格が似たもの同士だから、つい反発してしまうのでしょう。

と言うか、他人の意見を素直に聞くことができない謙虚さが無いってことなんでしょうね、きっと。
もっと、素直になればいいのだと思うのですが、それが出来ないのは、変な自尊心があるってことなんだろう。
今までこういう性格で生きてきたという変な自尊心なんだろう。
つい、身構えてしまう態度が、相手に誤解を招く。
もっと、オープンな態度というか社交的な態度になればいいのだろうけれど…。

分かっていても、なぜかそれが出来ない。

何を守ろうとしているんだろう、と自問する。
きっと、基本的には、引っ込み思案な性格ということなんだろうなぁ。
この年齢になっても、情けないことに、それが克服できない。

昔の上司で、人と交わることには、まったく抵抗がないのに、一人旅ができないって言ってたけれど、逆に私の場合は、人と交わるのは苦手だけれど、一人でいることは苦じゃない。

宙ぶらりん。

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浪人生時代に思ったことは、大学生でないという宙ぶらりんな感覚。
前の会社を辞めて、無職の時に思ったことは、仕事をしていないという宙ぶらりんの感覚。
どこかの組織の一員でないことの不安定感。
いつのまにか所属意識が身体に染み付いてしまっていた。

そして、この4月から、求職状態で、不安定感がつきまとっている。
何か手に職を持っていれば、この先なんとかなるっていう自分に対する自信のようなものがあるのだろうけれど、特技を持っていない者は、自分に対する自信が持てないから、この先に対して不安を抱くということになるのだろう。

これから先のことを想像すると、本当に不安になる。
これまでにそれなりの世渡りができる力が身についていれば、もう少し安心ができるのだろうけれど、いやそれなりの力があったとしても、不意に思いもよらない病気にかかってしまうと、それどころじゃなくなる。
となると、健康体であることが、重要な条件かな。
健康体であっても、働き口がないと、経済的には、不安です。
特に、定年60歳の企業が多く、たまに65歳定年とあるけれど、嘱託とか契約社員なのかな。
それか、パート職員ですね。
超高齢社会なのだから、もっと間口を広げてくれてもいのにと思うのだが、

幼児体験。

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島田荘司さんの新刊かと思って地元の図書館に予約した。

屋上 (講談社ノベルス)

屋上 (講談社ノベルス)

昨日、午後から図書館に行って早速借りて、図書館に備え付けられた椅子に座って読み始めた。
十ページ程読んでいる間、「あれっ、前に読んだことがあるような、まさかデジャブ」なんて思いながらも、読み進んで、いやぁやっぱりこれ、読んでると、最終ページを見ると、本書は
屋上の道化たち

屋上の道化たち

の書き直したものでした。

すっかり、ノベルブックのことを失念してました。
3・40代の頃は、推理小説ばかり読んでいたけれど、この頃はさっぱり読まなくなってしまった。
推理小説に時間をかけるより、もっと時間かけて読む本があるんじゃないの」っていう、自分の中の強迫観念みたいなものが、「残り時間だんだんと少なくなってきているのだから、もっと有意義に時間を使わない」
という声が聞こえてきそうな気になる。
だけど、いざ図書館の本棚の前に立つと、いったい今の自分に必要な本ってなんだろうと考え込んでしまう。

史書の背表紙を見ながら、「過去の出来事を知って、どう活用するの」とか、経済書の前に立って、「今までも色々と手を出してきたけれど、結局書かれている内容も理解できず、ただ字面を眺めただけで、知識になってないよ」とか、心理学・哲学・政治等々の本の前に立って、自分の非力感を再認識するだけ。

自分のことなのに、自分が読みたい本が選べなくなっている。
いや、相手がでかすぎて、手が出せなくなっているっていうのが、実態だろうなぁ。

もっと、選択する範囲を狭めないといけないんだろうけれど、それだとモッタイナイと思ってしまう。
結局、貧乏性で、捨てきれないってことか。
貧しかった頃の幼児体験の意識が、私の体から出ないってことですか。

[随感日記)ジョンの魂

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ジョンの魂

ジョンの魂

このアルバムからシングルカットされた「マザー」を初めて聞いたのは、1970年、そう大阪万博の時だ。
寺院の鐘の音から始まり、ジョンの叫ぶような歌。
交通事故で亡くなった母と家を出ていた父への愛を訴える内容、それから子供たちへの助言。
最後は、亡くなった母と家を出て行った父に対するジョンの魂の叫び声が、続く。

胸が締め付けられる感情を覚えた。

それからしばらくして、アルバムを購入して、聴いた。
これは、とにかく凄いアルバムだと、私の中でお気に入りの一つになった。
この後に「イマジン」等々が続くのだが、やはり私にとってジョン・レノンのソロアルバムの中で、「ジョンの魂」を超えるものはない。
演奏形態は、ギターとベースとドラムとピアノという極めてシンプルであり、演奏テクニックが凄いとも言えないのに、なぜか心に響いてくるのは、なぜなんだろう。
最後の投げやり的な歌い方の「母の死」。

説明書等に、このころジョンとヨーコは、心理療法を行っていて、その影響もあって、本来人前に出しにくい個人的な感情が出ているなどと書かれているのを読んで、それに感化されているのだろうかと、自問しても、答えは見つからない。